内田樹さんのブログ「研究室」で、今度出版される「コモンの再生」という本の文庫版のためのまえがきというものが掲載されていました。
これを見て本を買おうという人もいるのかもしれません。
この中に日本の現状をとらえた文がありました。
日本ではどちらかと言うと「起こり得る最良の事態」を想像して、「そうすれば経済波及効果が数兆円」とか「世界中から『日本スゴイ』と絶賛の声」とか、そういうおめでたい話が好まれます。かつて大日本帝国戦争指導部が陸軍参謀の上げてくる「すべての作戦が成功すれば皇軍大勝利」というタイプの楽観的な戦況予測だけを採用して、そのせいで致命的な敗北を喫したことを日本人は本気では反省していない。僕にはそんなふうに見えます。
確かにそうだと思います。
捕らぬ狸の皮算用と言いますが、まさにそういった話ばかりです。
一方で、
そのプロジェクトが失敗した場合に「被害を最小化するためにはどういう手立てを講ずればいいか」という問いは誰も発しません。プロジェクト会議の最中に「失敗した場合の被害の最小化」について話し始めるメンバーはたぶん全員から憎しみに満ちたまなざしを向けられて「縁起でもないことを言うな」と一喝されて黙らされるはずです。
こういった雰囲気というものも、いつでもどこでも出てきそうなものです。
会社の中でもそういったものがあったように記憶しています。
そして日本では誰も「起こり得る最悪の事態について」語らなくなってしまった。
その証拠に、「リスクヘッジ」「フェイルセーフ」「レジリエンス」などの言葉に日本語の語彙が対応しない。
こういった言葉の訳語がない、略語がないということは無意識のうちに日本人が日本語にそのような概念が定着するのを拒否しているからだということです。
確かにそうだと思います。
私はここで書いているものの多くが「こんなひどいこともあり得る」ということのように感じます。
地震や津波の可能性、火山爆発、大水害、株式市場の暴落、国家予算の崩壊などなど。
そして「最悪の事態に備える」のも当然だと思っていました。
しかしどうやら世間は(政治の中心も含め)どうもそうではなさそうだ。
以前、政治家が「仮定の話には答えない」などと言っているのを聞いて「実際にはあらゆる可能性を仮定してその対処を考えているけれど、この場では答えないという意味だろう」と推測しました。
それもどうやら全くの過大評価だったのかもしれません。
本当にあいつらは「何も考えていない」のかも。
アメリカの政府は本当にひどいことをあちこちでしていますが、しかしそのいろいろな事態の推測には最悪の事態の想定もあるようです。
それでなければ世界戦略をもてあそぶようなこともできないのでしょう。(それでも頻繁に外れていますが)
それと比べても日本人の幼稚なこと。
こんなことで軍備増強などできるはずもないか。