爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

誕生日に思う「冥土の旅の一里塚」

少し前になりますが、19日は私の誕生日で69歳になりました。

 

例年通りですが、家内が年に一度の誕生日料理(それが何かは内緒)を作ってくれてお祝いし、いつもより少し多めに酒を飲みました。

子供や孫もラインのビデオ通話でおめでとうの言葉を言ってくれ(これは技術の進歩のおかげ)ました。

息子からの誕生日プレゼントの日本酒も無事に届きました。

 

しかし、これまでは「年を取っても誕生日は嬉しい」と思っていたのが、今年は少し違う気持ちになりました。

どうしても「冥土の旅の一里塚」という言葉が心の中にずっしりと意識されるようになってしまいました。

 

これはもちろん一休禅師の歌と伝えられる、「門松や(または正月は)冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし」、というものの一部です。

昔は数え年でしたから正月にみな一つずつ年を取るのですが、現在は満年齢ですから誕生日がそれにあたります。

 

また年を取った、あと何回誕生日を祝えるのだろうと考えてしまいます。

 

やはり同年代の人たちの訃報が続くということもあるのでしょう。

有名人もあり、友人知人もあり、次々と亡くなっていくように感じます。

 

今のところ自分には命に係わる病気というものはありませんが、それでも至る所に老化の兆候が見られます。

いつまでも続くわけもない生命ですが、終わりを見据えていかなければならないのでしょう。