副題の「大航海時代のイエズス会と托鉢修道会」を見ると本書の内容が想像できます。
16世紀に始まるキリスト教改革運動に対抗してカトリックでも改革が進められその一環として異教徒への宣教活動を行うこととなります。
それはスペインやポルトガルの植民地獲得の動きとも連動し新大陸やアジアに進出していきます。
本書ではまずマルティン・ルターらによる宗教改革を説明し、それに対してカトリック側でも改革活動が活発になること、そしてイエズス会の誕生と成長、托鉢修道会の動き、さらに新大陸のキリスト教化と進み、最後にはイエズス会の日本宣教を説明していきます。
キリスト教を世界に広げようという意識はそれ以前からありました。
イスラム教がキリスト教世界を包囲するような形で勢力を増したころ、イスラム教国の彼方の東方諸国にはキリスト教を待ちわびている人々がいるという伝説が広がりました。
1122年に教皇カリクストックス2世が「インド司教」なる人物を引見したことがあります。
実際にはそれほど広い地域を代表する者ではなかったのですが、その後のキリスト教世界に「プレスター・ジョン」の伝説を広めることとなります。
中国は多くの人口をかかえキリスト教布教の好対象と捉えられていましたが、明王朝はそれを厳しく制限していました。
しかし1582年になってイエズス会巡察師であったヴァリニャーノはマテオ・リッチを中国に派遣します。
マテオ・リッチは仏教徒としてふるまい、西洋の大学者だと偽って中国支配層に食い込みました。
イエズス会はそのかいあって2000人の受洗者を獲得しました。
その後、清王朝となるとキリスト教も宣教活動が認められました。
イエズス会の日本宣教については他書でも多く記されていますが、この本では「イエズス会宣教活動の財源」という点からも見ているところが面白いものでした。
イエズス会の活動はポルトガル王家の庇護を受けて行われており、宣教活動に必要な財源もポルトガルが負担する義務を負っていました。
しかし実際には現地に赴くのはポルトガル商人であり、彼らがその責任を負わされていました。
商人たちの利益は貿易によって得られており、その中からイエズス会費用が出されました。
フロイスによれば1566年には年間3000クルサド(約5250万円)が日本全体のイエズス会費用として必要でした。
それはポルトガル王の命令としてマラッカの関税徴収所から支払われたのですが、その額は年間500クルサド、イエズス会の必要額には達しないものでした。
そのためイエズス会も独自の貿易活動を行い経費を稼ぐ必要がありました。
しかしイエズス会内部にもこのような金儲けには反対する会士もいました。
修道士として清貧を誓った者が商業取引を行うのはいかがなものか。
当初はイエズス会独占であった日本宣教も、徐々に托鉢修道会の諸派が進出するようになります。
フランチェスコ会、ドミニコ会、アウグスティノ会とやってきますが、すでに日本の政治情勢は変わっておりほとんど勢力を増すこともできませんでした。
日本でのイエズス会の活動というのは有名でしょうが、同時期に世界各地で宣教活動が繰り広げられていたということです。