爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「日本の取引慣行」三輪芳朗著

かつて、「日米構造協議」というものがありました。

これは、1985年にプラザ合意というものがあり、それにより急激な円高となったもののアメリカの対日赤字がほとんど減らないということに業を煮やした米政府が、日本の状況にその原因があるからだとして日米政府の協議の場を設けたというものです。

 

そこで大きく取り上げられたのが、日本の「取引慣行」すなわち商行為における独自の習慣でした。

それがあるためにアメリカ企業の日本への進出が妨げられていると主張する米側は、このような日本の取引慣行は消費者の利益にもならないと主張しました。

 

こういった動きに反発したのが本書著者の三輪さんで、当時東京大学経済学部教授でしたが、やり玉に挙がったそういった慣行は実際にはどういうものなのか、本当に消費者のためにならないのか、アメリカ企業の参入ができないのは別の原因ではないかといったことを詳細に本書で論証しています。

なお、日本の企業関係者だけでなく、経済学者などの反論も想定されており、それに対する答えも準備されているという、周到な内容となっています。

 

取り上げられている内容は、返品、不当廉売、ダンピング、リベート、流通系列化、抱き合わせ販売、互恵取引、再販といったものです。

 

たとえば「返品」という制度はアメリカにはあまり無かったのかもしれませんが、小売で売れ残った商品をメーカーに戻すといったものです。

これは買い切りにして小売が処分すべきではないかという意見が出ました。

しかし、そこには日本におけるメーカーと小売りの関係というものが強く反映しており、もしも返品制度というものがなくなれば新製品の認知も遅れて製品の代謝もうまく行かないことになります。

またメーカー、卸側の押し込みという行為もできなくなり、その不都合も生まれます。

 

といった日本の商取引の実情が細かに述べられていますが、ただしやはり30年前の本ということで現状とはかなり差があるのかもしれません。

当時もディスカウントストアというものは出ており、本書内にもディスカウンターと言う描写が出てきますが、あくまでも例外的な存在でありそちらに安値で流れないような対策と言ったことも触れられています。

もうディスカウントの方が主流となった現状とは大差がありそうです。

 

それにしても、これほどまでにアメリカが真剣に日本を問題視していたというのは、隔世の感というものでしょう。

今ではほとんど相手にもならず、中国相手の闘争のための財布兼使い走り程度にしか扱われていないのがアメリカの対日観でしょうか。

何かほろ苦いなつかしさというものを感じてしまいます。