言葉というものは時代とともに徐々に変わっていくものでしょうが、意味をまったく取り違えて使っていると相互に大きな勘違いが生じることもありそうです。
文化庁の国語課では、このような事例を毎年調査しており、平成7年度から「国語に関する世論調査」を実施しています。
毎年その結果は発表しているのですが、それをまとめたものとして、この本では使い方が異なる言葉をその意味と使っている年齢層を対比して説明しています。
時々、こういった事例は話のタネにされることがあります。
「流れに掉さす」は会議の中では邪魔しているのか違うのか。
「枯れ木も山の賑わい」とパーティーの招待客に言って良いのか。
場合によっては聞く方に逆に意味と捉えられることも多いようです。
そのような事例として、他に「敷居が高い」「破天荒」「役不足」「やぶさかでない」などを取り上げ、年代別の使用傾向もまとめてあります。
そういった言葉は出来てきた過程からその本来の意味というものはあるのですが、それが時代とともに逆転してしまうということがありそうです。
そこには変わってしまう理由というものもあり、仕方ないという思いもありますが、それでもやはり誤用と言わざるを得ないものもあります。
「流れに掉さす」などもそういった例であり、舟を竿で操るということがもはや一般的ではなくなり、逆に流れに逆らうとか、流れを止めようとするといった意味に理解する人が多くなっているということです。
なお、そもそも「意味が分からないので使わない」という人も多くなっているとか。
まあ、分からないなら使わない方がまだマシかもしれませんが。
なお、私もさすがに読書量の多さを誇っている?だけに、この本に取り上げられた言葉のほとんどは本来の意味を知っていたのですが、中でいくつかあやふやなものがありました。
「姑息な手段」は「一時しのぎ」が本来の意味であり「卑怯な」という意味はもともとは無かったのですが、やはりそういう意味を感じていました。
「割愛」は惜しいと思うものを思い切って捨てるというのが本来の意味ですが、これも本来とは違う「不必要なものを切り捨てる」と使う人が多いようです。
覚えておきたいものです。
ただし、あまり「本来の意味」にこだわっても、人に通じなければ仕方ないことかもしれず、そういった言葉は使わないという選択をすべきなのかもしれません。
さすがに、「誤用」と知っていて使うわけにもいきませんので。