いくつかの言葉が固定的に組み合わさって一つの意味を表す言葉、英語ではコロケーションと呼ぶそうですが、故事によるものは慣用句、それ以外は連語とでもいうのでしょうか。
しかし、その成り立ちが忘れられて行き、徐々に間違った言葉使いになることがあるようで、よく「誤用である」と話題になることもあります。
ところが、辞書などに「これは誤用」と書いてあっても、よく調べてみると古い使用例が出てきたりする場合もあり、一概には言えないようです。
本書著者の神永さんは、出版社勤務の間ずっと国語辞典編纂に関わってきたそうですが、確かに誤用が時とともに増えていく場合もあるものの、誤用ではないと考えられる場合も多々あり、それを一度まとめておいた方が良いのではと考え本書を作ったそうです。
基本的に成立過程がはっきりしていて、その割に誤用が増えているもの、非常に似通った表現で正解があるかどうか分からないもの、一部の辞典などでは誤用とされているが必ずしもそうとは言えないと思うもの等、提示してみました。
なお、コロケーションの実態を見るために、国立国語研究所のコーパス(書籍における言葉の使用実態集計)、小学館のコーパス、国会会議録検査システム、そしてインターネット上の電子図書館「青空文庫」を使用しました。
ただし、国会での議事録での使用例を見たというのは、別に議員の国語能力がどうのこうのと言うつもりはないということです。
〇犠牲になる
犠牲をこうむる
災難などで死んだり負傷したりすることを「犠牲になる」と言いますが、これを「犠牲をこうむる」と言う言い方が広まっているようです。
「犠牲」とは犯罪や事故などで死んだりする状況に陥ることを言い、「こうむる」は災いなどを身に受けることを表すので、「犠牲をこうむる」では死んだり負傷したりすることを身に受けるというとになり、不適切です。
やはりこれは誤用です。
〇采配を振る
采配を振るう
采配とは大将が軍隊の指揮をとる時に手に持って使うもので、これを振り動かして合図するので、指揮をするという意味になりました。
しかし、「采配を振るう」と言う人がすでに過半数を占めるようになってしまう。
そもそも「ふるう」とは棒状の物を縦横に駆使して用いるという意味です。
そのため、采配に使ってもおかしくはない。
どうやらこれは今後認められる可能性があります。
〇的を射る
的を得る
これは多くの国語辞典で「的を射る」が正しく「的を得る」は誤用とされています。
しかし、本書ではその判断に疑問を呈しています。
「的を得る」と同じようなことばに「正鵠を得る」があります。
これは中国古典の「礼記」にある「正鵠を失わず」から来た言葉ですが、「正鵠」とは実は弓の的の中心にある黒い点のことを言います。
したがって、的の中心に当てることを「正鵠を得る」と言うわけですが、これが最初の「的を得る」と同じ構造になるわけです。
軽々しく「的を得るは誤用」と決めつけるのは危ないのかもしれません。
〇舌の根の乾かぬうちに
舌の先の乾かぬうちに
舌の根の方が正しく、「舌の先」は誤用と通常はされています。
しかし、実際は「舌の根」という言い方が出だしたのは明治時代になってからで、歌舞伎の用例が最も古いようです。
江戸時代には「舌も乾かぬところ」と言う用例がありますが、「根」が付けられたのはかなり新しいもののようです。
したがって、それほど厳格に「根」が正しく「先」は間違いと言い切るほどではないようです。
なお、「どちらでも成立する」という例があるというのは驚きですが、やはり「全く間違い」という例も多いようで、「間髪を入れず」は「カンハツ」と読むとか、「食指」は動くもとだとかいった、意味の上から決まっていたり古典の出典文例がはっきりしている場合はやはりそれを守るべきでしょう。