爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

夢想論 国のあるべき姿とは 予告編

国の防衛を論じるものが増えてきており、もしも他国が攻めてきたらと言う想定で論じられています。

 

しかし、そこには「この国で生まれ育ち住んでいるものは防衛するのが当然」ということはまるで既定の真実のように疑われることもなく前提条件とされているようです。

 

本当にそうでしょうか。

 

歴史上の多くの国では、一握りの者たちの独裁で多くの人々はただ搾取されるだけということが普通であり、そこに外国が攻めてこようがかえって搾取されるだけの人々にとってはそれは朗報であり、外国軍が勝利して占領軍となったら、人々はそれを歓迎したという事例は山ほどあります。

 

今の日本という国は国民の多くが「守りたい」と言える国でしょうか。

 

私にとってはどうもそうとは感じられない国であると思っています。

今はわずかな年金と貯金だけが頼りの生活ですが、それでもその年金からは税金や健康保険、介護保険などが徴収されています。

かつての会社勤めの現役時代にはそれほど多くもない収入でしたがかなりの税と保険料が取られていました。

それに見合うほどの見返りがあったのかどうか。

もちろん、年金として受け取るもの、医療費として受け取る金額以外に、行政サービス、道路の建設保守、その他の施設にも多くの国費が投入されていますが、それが払った額に見合ったものとは思えません。

しかもそれに対して疑問があっても晴らすこともできず、異議があっても反対意見を述べることもできず討論すらほどんどできません。

 

その多くの税金が我々に還元されず、政治家やそれに連なる連中、財界の経営者たち、そして外国(主にアメリカ)に掠め取られ、流出していることも知るようになりました。

 

このような政府というのは「腐敗している」と見なしてもよいものと言えますが、これは人によって意見は異なるでしょうし、私の意見のみが正しいとも言えないことです。

しかし私はこのような政府が我が物顔にのさばる国を「守ろう」などという気にはとてもなれないということです。

 

ここからが本論につながりますが、「ならばどういう国であれば生命をかけても守りたいと思えるか」ということを提示していきたいというのがこのシリーズの目標です。

 

これまでも私のブログでは「脱エネルギー社会」などと言う社会目標を述べてきましたが、さすがにそれは理想論に走り過ぎ、いくら私でもその実現性などはほとんど考えられません。

そこで、少し現実的な?姿を見せてみたいと思います。

とはいえ、それでも実現性は高いとは言えないと思いますので「夢想論」と名付けて示していきます。

(本論1に続く)