爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「なぜ少数派に政治が動かされるのか? 多数決民主主義の幻想」平智之著

著者は様々な職業を経験した後、民主党政権奪取の時に衆議院議員となり政治の運営というものを目にしました。

原発という考え方を発表したものの成らず、その後は政治から離れてしまったそうです。

 

政権内に居た頃に感じたことが、ごく一部の人々の声が政治を動かしている姿でした。

原発という声は非常に多くの人々が上げていても、実際に政治に反映されているのは人口比から言えばごくわずか(0.6%:著者の推定数)の推進派の人たちの意志です。

ただし、これらの推進派の人々は非常に強い政治力を持ち政権を動かす方法を熟知しています。

原発とはいっても組織もなく、方向性もバラバラの人たちはいくら数は多くてもその意見を通すことはできません。

 

こういった構造は原発に限らずすべての政治分野に及んでいます。

保育園を増やせというのが多くの母親の声ですが、ごく少数の保育園経営者などの声が届きやすいのが実情です。

年金受給者はかなり増加しているとは言え、まだ払込をしている若い人たちの方が人口でははるかに多いはずです。しかも、年金受給者といっても十分に貰えているのはその中でも厚生年金を多く貰っている人や公務員出身の共済年金受給者だけです。しかし、これらの受給者には多くの国会議員や地元名士が付いています。若い人たちの声をまとめる実力者はいません。

公共事業も受注できるのは大企業ばかり、しかもその仕事を何層にも絡み合う下請け構造により実際に施工する業者にはわずかな金額しか入りません。

これもそのような下請け業者が多数であっても声を政治に届かせることはできず、大企業の思惑通りに公共事業は進んでいきます。

 

こういった構造は、監督官庁である政府の各省庁がこのような圧力団体の事務局と化しているからということです。

何も分からない議員たちにはこのような事務局がしてくれる説明だけが情報源です。

その説明にしたがって動いていれば「間違いない」というのが政治家の行動です。

これが「官僚支配」というものの実状です。

それに引き換え、多数派すなわちほとんどの庶民たちはこのような事務局というものを私的に作っていたとしてもほとんど力を持ちません。

 

政権内部というものを覗いた著者ならではの意見かと思います。

ただし、ならばどうしようかという点は難しすぎるためか答えは出ていません。

まあ、各自が考えなければいけないのでしょうが。