有職故実(ゆうそくこじつ)とは朝廷や公家などの行事やしきたり、その他の事を研究することですが、その有職故実研究家と称する八條さんが、さまざまな日本の文化の歴史について、勘違いしやすいものをあれこれと解説している本です。
平安貴族は馬にまたがるといった野卑なことはせず、牛車(ぎっしゃ)に乗って優雅に移動したというイメージがあります。
しかし牛車が「のんびりゆっくり」走ってはいなかったということです。
優れた牛を評する言い方として「走る速度が速いこと風のごとく」などと書かれているものもあったそうです。
何かの折に意地の張り合いで牛車を競わせてレースをすることもあったとか。
そういった牛車には乗るのも大変で、慣れないとひどい目にあうということで、木曽義仲が上京し初めて牛車に乗った時には車の中であっちこっちに引っくり返ったそうです。
こういった牛が暴れるということは、日本では雄の牛馬を去勢するという習慣が無かったということも関係しそうです。
そのため発情期には暴れまわったようです。
日本古代では蜂を飼って蜜を集める「養蜂」ということはほとんど為されませんでした。
しかし平安時代に「趣味の養蜂」をしている人があり、11世紀から12世紀の藤原宗輔という人は蜂を飼っていて、名前まで付けていたそうです。
「今鏡」に「考えられないことには、蜂と言う人を刺す虫を好んで飼っている」と書かれています。
「堤中納言物語」にある「虫めづる姫君」という文は有名ですが、そのモデルはこの宗輔の娘の若御前だそうです。
節分に食べるのは恵方巻というのが現代では広まっていますが、これはどうやら昭和初期に大阪の花柳界で広まったのが始めのようです。
江戸時代には節分の行事食といえば「麦とろ」だったそうです。
この風習はどうやら室町後期には存在していました。
広瀬兼寿という人が書いた「年中恒例記」という本に書かれているそうです。
なお、節分だけでなく「養生のため普段から食べるものもいる」とあり、どうやら白米だけを食べていて脚気になることの対策として麦飯を食べることが対策となるということは知られていたようです。
その他、光源氏も平清盛もマラリアにかかったとか、藤原道長の有名な「この世をば我が世とぞ思う」という歌は仲間内だけの宴会で歌ったものだとか、いろいろあるものです。