英語は世界標準言語としての座を獲得し、インターネット普及でさらにその立場を強めているようです。
しかし、その成立の複雑さからいろいろな点で矛盾点や問題点も多いことは確かです。
この本では英語の歴史から現代の世界中への広がり、そして今後の予測まで英語全体について幅広く論じられています。
なお、本書には英題もついていますが、それは「Changing English」です。
「Changing」が「歴史」に当たるのかどうか、良く分かりませんが本書の主題は歴史だけではないということでしょうか。
本書の最初は、歴史ではなく国際語としての英語の現状の解説から始まります。
ただし、国際語といってもその使われ方は各地の状況によって異なります。
まず、「母語としての英語」です。
これは「English as a Native Language」(ENL)と表さられ、おもに英国、米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドにおけるものです。
この人口は、少なく見積もって3億2000万人、多く見積もって4億人です。
次に、「第2言語としての英語」です。(Engilsh as a Second Language,ESL)
英語が第2言語として用いられるというのは、母語は英語以外だが、公的な場では英語が用いられるということです。
こういった地域としては、ナイジェリア、インド、シンガポールなど現在では70カ国以上に及びます。
こうした地域でのESLとしての人口は正確には把握できませんが、おおよそ3億5000万人と見られます。
最後に「外国語としての英語」です。(English as a Foreign Language,EFL)
英語を母語や公用語として用いてはいないものの、学校教育で英語を外国語として取り入れているところで、日本もそれに属します。
ただし、どの程度の英語能力を持つ人が英語使用者と見なされるかは客観的な基準がないため、この人口も学者によって大差があり、1億人程度と見る人から10億以上と見る人もいますが、だいたい7億5000万ほどと見るのが妥当でしょう。
このように、ENL、ESL、EFLを合わせると約15億人が英語使用者とみなせます。
1900年当時の英語使用者は1億2000万人程度であったので、10倍以上に増えたことになります。
しかも、ESL、EFLの増加が著しいため、英語としてもこれまでにない特異な状況に置かれたことになります。
英語の元になる言語を最初に話していたのは、1500年ほど前にヨーロッパの北西部に住んでいた、ゲルマン人の1種のアングル人、サクソン人、ジュート人、フリジア人と呼ばれる人たちでした。
彼らはその後の「ゲルマン民族大移動」と呼ばれる流れの中で、ブリテン島に移動し定住します。
その当時ブリテン島に住んでいたのは、ケルト系民族でしたが、彼らはゲルマン民族によって西方に追われます。
英語はその後ブリテン島を舞台に変化していくのですが、一般に古英語(450-1100)、中英語(1100-1500)、近代英語(1500-)と分類されます。
古英語の代表的な文献は、8世紀頃に作られたゲルマンの英雄譚「ベーオウルフ」というものですが、作者は不詳です。
中英語の代表的文人が、ジェフリー・チョーサー(1340?-1400)
初期近代英語では、ウィリアム・シェークスピア(1564-1616)です。
これらの間には、言語学的に大きな違いが見られます。
それは、その分岐点に大きな歴史の大変動が起きていたからです。
1100年頃には、ノルマン征服が起きました。
ノルマンディー公ウィリアムが英国の王位継承を主張して侵入し、英国王ハロルドを打ち破って征服して王位についたものです。
ウィリアムはノルマンディー方言のフランス語を話しましたので、支配階級の言語はそのフランス語となりました。
そのため、中英語には多くのフランス語の語彙が流入しました。
1500年頃には、文芸復興運動、ルネサンスが起きました。
神中心であった中世から、人間中心の文化への大きな転換が起きたのですが、そのモデルとなったのがギリシア・ラテンの古典文化で、そのため英語にもギリシア語やラテン語の語彙が数多く導入されました。
なお、現代英語では語彙だけでなく文法でも大きな変化が起きています。
古英語では多くの語形変化が残っていたのですが、それが徐々に消えていきます。
ただし、語形が決まっていると語順にはあまりこだわる必要がないのですが、語形変化をなくしたことで現代英語では語順が固定化するという影響が出ています。
また、代名詞の明示化ということが強まっています。
このような成り立ちのため、英語には類義語(synonym)が非常に多いという特徴があります。
しかも、その類義語といえど完全に同じ意味ではなく、本来語かフランス由来語か、ギリシア由来かラテン語由来かによって微妙なニュアンスの差があり、それを使いこなすのが教養の現れということになっています。
近代英語期に入る頃に多く流入したラテン語由来の言葉は約1万語あったと言われていますが、その半分は現代までは伝わらずに消えてしまいました。
しかし、その取り入れ方は多くの意味を持ちながら変化していったため、同じ語源でありながらそのつながりがさっぱりわからないというものも多いようです。
chamber(部屋、議場)と、camera(カメラ)が同じラテン語のcamera(丸天井の部屋)から由来するということは、英語話者でもほとんど知らないことです。
近代英語期に入った頃に古英語以来の語尾変化というものが失われたのですが、その結果、たとえばloveという言葉は名詞・動詞ともに同じ形になってしまいました。
もはや語形だけで品詞を判断することはできなくなったのですが、逆に語形を同じにしたままで自由に品詞転換ができるということにもなりました。
これを「ゼロ派生」と呼ぶのですが、たとえば「dog」という名詞(犬)はそのままの形で動詞(犬のようにつきまとう)という風にも使えることになりました。
ゼロ派生は近代英語期の初期に特に多く使われ、シェークスピアも作品中で多用していますが、その後100年ほどして英語辞典を編纂したサミュエル・ジョンソンはこのようなゼロ派生は「趣味の良くない表現である」と批判しており、その後は使用が少なくなったそうです。
しかし、現代でもこれを使って表現に新味を付けたいということはあるようで、「Shall we Haagen-Dazs?」(ハーゲンダッツを食べるという動詞に使う)や「I Googled Chaucer.」(グーグルで検索するという動詞化する)といった例があります。
英語の単語の綴の混乱というのは昔から問題になっており、綴り改革の運動も繰り返されています。
ミュージカル「マイ・フェア・レディ」の原作者のジョージ・バーナード・ショウもその活動に積極的で、遺言で彼の著書の印税をすべて英語綴の改革活動に使うようにしたそうです。
しかし、その頃にはすでに英語がアメリカやオーストラリアにも広がっており、各地での発音はかなり異なってしまっていて、どの発音に合わせて綴を変えるかという問題が発生し実現しませんでした。
英語のeiをオーストラリアなどでは「アイ」と読むのはよく知られており、発音に合わせて綴を変えてしまうと各地で単語の表記が変わってしまうということになりそうでした。
現代の英語の変化には、社会の変化も大きく関わってきます。
アメリカを中心に差別撤廃運動が広がっており、それが言葉にも影響を及ぼしています。
性差別をなくすという意味で、「man」がつく単語を「person」などに言い換えていくということが広がっています。
また、障害者差別では「blind、deaf、dumb」といった言葉も避けられるということにもなっています。
ただし、このような活動も単なる言葉の言い換えに過ぎないという批判もあります。
「challenged」という単語をつけて障害者などを表すということも広く行われていますが、それを揶揄した書き方もされており、
aesthetically challenged (美的困難に立ち向かっている) =容姿が劣った(ugly)
horizontally challenged (水平方向への困難に立ち向かっている) =太った(fat)
といのは、冗談でしょう。
国際語化したためにその性質も変わっていくという指摘はその通りと感じます。