ミャンマーでは選挙によって選ばれたアウンサンスーチー率いる国民民主連盟(NPD)政府が国軍によるクーデターで倒されました。
それに抗議する市民に対する弾圧も激しく多くの人々が亡くなったということです。
しかし、それでは軍部の政権を倒してNPDによる政府に戻せばそれで良いのでしょうか。
国際協力を専門に研究しミャンマーにおけるエネルギー政策についても研究するだけでなく実際に開発計画を立て民主政府とも交渉したという経験を持つ著者がミャンマーの歴史まで立ち返ってみます。
ミャンマーではこれまでに3回のクーデターが起きました。
1962年のネーウィン将軍、1988年のソーマウン将軍、そして2021年のミンアウンフライン将軍のものです。
その性格は同じではなく色々な目的があったのですが、2021年のものが何を目指したのか。
これは「民主化を求める大衆を抑圧する」ためだと思われるかもしれませんが、それは全く違うということです。
直接的にはその直前に行われた選挙の不正を唱える国軍の選挙調査の依頼をNLDが拒み国会開催を強行しようとしたからでした。
国軍による軍政も統治が上手く行くことはなく、反発を受けることが多かったのですが、それはNPDの政権も同様でした。
すでにかなり歪み腐敗したものとなっていました。
ミャンマーはビルマ族という多数派の他に135もの民族が住む多民族国家です。
しかしこれまでの政府は軍部のものも、民主化勢力のものも、常に多数派のビルマ族中心主義を取ってきました。
ビルマ族は多数と言っても人口比では6割を占めるに過ぎず、他の民族が4割もいます。
にもかかわらず、政策はビルマ族のためのものがほとんどで、少数民族の不満は激しく常に内戦の危機にあるとも言えます。
イスラム教徒のロヒンギャに対する弾圧が激しくなったのはアウンサンスーチーが政権を担当してからのことでした。
国軍による軍政時に圧力が強まるということではなく、民主化勢力になっても同様に少数民族は冷遇されていたわけです。
軍部による独裁政治の時代は彼らの存在意義を主張するために経済開発に力を入れます。
それでなければ民衆の不満が増すばかりで軍部に対する批判も強まるためそれを逸らす狙いがあります。
しかしNPDの政権獲得以降はNPDはその必要を感じず、そのために経済開発に無理に進まないということになりました。
そのためかえって経済状態は悪化するということになってしまいました。
アウンサンスーチー政権に移行した2015年以降、経済指数と家計の状況を見ると貧困者の状況は悪化し格差が拡大しているように見えます。
そして最大の問題はその貧困者が少数民族にばかり偏っていることでした。
ミャンマーの民族主義は「アミョー(民族)、バーダー(言語)、ターダナー(宗教)」という言葉で表され、ビルマ族でビルマ語を話し、仏教徒である者だけをその構成員として認めるというものでした。
そこには多くの別民族、イスラム教に限らずキリスト教徒などの人々がいることも無視するというものでした。
この結果、ビルマ族の政府は極めて排他的な構造を作り上げてしまいます。
1948年制定、1982年改正の国籍法では1823年以前からミャンマーに住んでいた人々の子孫のみがミャンマーの正式国民でありそれ以外は準国民として様々な面で差別を受けるということにしてしまいました。
著者はNPD政権時代に電化を進める政策の提言を行い、ある程度の進展もしたのですが費用が掛かり過ぎることから停滞しました。
少数民族の住む地域では電気が来ているところすら少ない状況です。
しかしまず最小限の電化をしなければ格差是正などは遠い夢の話となります。
そのような地域に国の財源を向けるということはビルマ族重視で固まっている政府などにとっては難しいものなのでしょう。
なお、このようなビルマ族中心主義というものは軍部だけのものではなくNPDなどの民主化勢力の中でもかなりの割合で含まれており、そちらの方が力が強いというのが実情だそうです。
このような状況から、もしもクーデターを起こし政権を取った軍部から何らかの方法でNPDなどの民主化勢力に政権が戻ったとしても、おそらくまた国の状況は悪化し、再度のクーデターということにもなり兼ねないということです。
なお、ミャンマー全体として言えることなのかもしれませんが、特に少数民族においては「親分・子分制度」というものがまだ強く残っているそうです。
そこでの親分というものは違法な手段での収入など(麻薬栽培等)で力を蓄え、多くの人々を子分として勢力を強めるといった状況です。
これを何とか選挙制度になじむ社会に作り変えることから始めなければなりません。
ミャンマー正常化というのは長く苦しい道が残っているようです。