爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「身近な漢語をめぐる」木村秀次著

現代の日本語では元来のヤマトコトバより漢字渡来以降の漢字を使った言葉(これを漢語としています)の方が数多く使われているようです。

そのような漢語について、漢文学、国文学が専門の著者があれこれと思い当たるところを綴っています。

なお、漢語といっても中国から伝わった言葉だけでなく、漢字を使った言葉であれば日本生まれのものも取り扱っています。

 

漢字の読みには「音」「訓」があるのですが、音読みとは中国から伝わった漢字の読み方が日本語化したもの、そして訓読みはその漢字の意味を日本語で表したものです。

ところが、「訓読みが無い」という漢字もあります。

胃、絵、菊、芸、死、字、肉などは音読みだけで訓読みと言うものがありません。

(ただし、字は”文字”の意味で使う場合のみ。「あざ」といった意味の場合は別)

 

意外な気もするものがあり、絵は「カイ」が音読みで「え」は訓読みと思っていたのですが、「エ」も音読み(ただし呉音)だそうです。

 

これは、その漢字が日本に伝わった当時にその字の表す事物自体が無かったからということです。

たしかに、「字」というものが無いからすべて中国から持ってきたのですから、それにあたるヤマトコトバもあるわけもありません。

 

また、菊という植物も無かった。これと同様、茶もそうです。

植物自体が伝わってきてそれと共に言葉もそのまま取り入れられたのでしょう。

 

なお、蝶(チョウ)もそうです。

しかし、蝶という昆虫は漢字が伝わる前にもいなかったはずはなく、それは何と呼ばれていたのか。

万葉集の中でもそれを示すヤマトコトバは見当たらず、早い時期から蝶とされていたようです。

わずかに、平安時代の10世紀に編まれた漢和辞書の「新撰字鏡」に蝶の日本名として「かはひらこ」という名称があるそうです。

しかしそれほど広く使われていた言葉ではなかったのか、それより40年後に編まれた「倭名類聚抄」には蝶の日本名は掲載されていないそうです。

 

 

中国から伝来した言葉でもその意味が大きく変わってしまった言葉も数多くあります。

言葉だけ挙げておきますが、その元の意味はかなりかけ離れたものです。

挨拶・稽古・痴漢・馳走・方便・迷惑・料理

そんな中から「遠慮」という言葉について詳しく原義と変化の過程が記されていました。

遠慮という言葉は早くも孔子の言葉を伝える論語に載っています。

人無遠慮、必有近憂(人遠きおもんばかりなければかならず近き憂いあり)

とあり、遠い将来を見越して熟思することを意味します。

中国ではその後もこの意味で使われており、現代でもその通りのようです。

しかし、日本では大きく変わってきました。

室町時代中期の15世紀ごろ、「遠慮も無く」と副詞句で用いられる例が出てきます。

鴉鷺物語という御伽草紙の中の一編で、「はばかることなくののしる」様の描写として使われています。

そのあたりから、「遠い将来の事柄を熟慮する」という意味よりは「相手に対する控え目て姿勢を示す」ようになっていったようです。

江戸時代にはその用法が広がり明治期に編まれた近代的辞書ではこちらの意味が主流となりました。

 

漢字はたしかにその起源は中国のものなのでしょうが、渡来以来日本語の重要な要素として発展し続けたようです。

いい加減な使い方は慎みたいものです。