いつも楽しみに拝見している「カメキチの目」でkame710さんが「スマホ」について書いていました。
まさにその通りで、スマホが流行して以来すぐそばにいる人とのコミュニケーションは全く忘れてしまいスマホを通してのネットつながりだけにのめり込む人が増えているようです。
私もちょっと前に東京に出ていった際、電車の中で多くの人がスマホをのぞき込んでばかりの光景が異様に感じられたものでした。
その後、電車の中どころか歩きながら、自転車に乗りながら、そしてなんと「車を運転しながら」でもスマホを見続けるという、「ながらスマホ」の蔓延に驚いたものです。
これは一見すると常に他者につながろうとしているように見えますが、やはり疑似的なものにしかならず、かえって人とのコミュニケーションを阻害しているということは、彼らがすぐそばの家族や友人との会話もできないということからも明らかでしょう。
このままいけば人類という非常に他者との関係に依存する度合いの強い動物にとってはその存在方法を大きく変えかねない由々しき問題と言えるでしょう。
ただし、どうも「このままいく」かどうか怪しいものに見えます。
私の持論ですが、エネルギーや資源の供給量に限りがある以上はいつかはその欠乏が見えてくると思っています。
その時にスマホ社会は生き残れるのか。
スマホやネットというものは、一見してそれほど資源やエネルギーを使っていないかのような印象を受けます。
電池も小さなものですし充電もすぐにできます。
しかし、その台数がとんでもない数になっています。
廃棄された携帯の中の貴金属やレアメタルが貴重だという話も出ました。
それほど大量ではないにしろ、数が多くなれば総量も大変なものになります。
貴金属もレアメタルも「貴」であり「レア」だからそう呼ばれています。
いつかは限度を越えてしまうかもしれません。
エネルギーもそれほどは使っていないように見えるかもしれません。
しかし製造に費やすエネルギーは大量、ネット維持のためにも相当な量が必要です。
これもエネルギーの供給不安の時代がやってきたら維持することが難しくなりそうです。
そして、このような状況は「資源エネルギーの不足」が大規模になってから起こるということではないでしょう。
「少々足りない」程度でも大規模な影響が出ます。
今でも「停電」があるかもしれないというだけで社会不安が起き掛けます。
これが実際にネット停止といった事態になればどうなるか。
安定した運用ができてこそ社会インフラとして安心できますが、一度でもそれが崩れたらどうなるか。
こういった事態が起きるのがいつ頃かは分かりません。
まだ数十年は先の話かもしれませんし、今年のうちに起きるかも。
やはり心構えともしもの備えはしておくべきなのでしょう。