アメリカの連邦最高裁で、妊娠中絶を容認した判決を憲法違反と認定したということで全国でデモが頻発するなど大きな騒ぎになっています。
アメリカの連邦最高裁の判事は9名ですが、そのうち6人が「保守派」となっており、彼らの意志は強固なためこういう事態となることは確実と見られていました。
しかし、中絶を認めない勢力はほぼ「保守」、容認派が「リベラル」と言われており、その差は大きいように感じられます。
他にも「保守とリベラル」の争点となっているのが「銃規制」であるようです。
トランプ政権時代には銃規制はまったく進まず、かえって学校などで発砲事件が相次ぐとトランプは教師に銃を持たせろと言っていたものです。
それがバイデンになったら規制を何とか進めようとしています。
どうも「保守」と「リベラル」というものが何なのか、遠く日本から見ていてもあまり分かりません。
「保守」がだいたい共和党、「リベラル」が民主党らしいという印象は受けるのですが。
慶応大学の渡辺靖教授がその解説をしていました。
冒頭に掲げられている言葉が核心のようです。「コークとペプシの違い」
市場主義重視か、宗教的な伝統を重視するか、少数者の権利を重視するかと言った点で若干の違いはありますが、まあ現状の資本主義社会を変えるつもりなど全く無いという点では似たり寄ったりでしょう。
アメリカでもリベラルの中でもさらに左派とされるサンダースになると少々違いが大きいようにも感じます。
また保守派と言われる人々の中にも強硬派という人々もいます。
しかし多くはそういった「コークとペプシ」の中でお互い絶対に相容れない存在かのように争っているだけのようにも見えます。
日本では「保守」と「革新」と言われてきましたが、このところ革新勢力などというものはすっかり影を潜めました。
もともと革新といっても大した理想やビジョンがあるわけでもなく、せいぜい「ちょっと清潔な政治」を目指す程度のものであり、アメリカの「保守」「リベラル」よりもっと存在感の薄い存在でしたので仕方ないことでしょう。
今では「自公」「自民すり寄り」「自民に近寄れない」勢力に三分され、いずれ「大政翼賛会」になりそうな勢いとなっています。
しかし「コークとペプシ」であろうが、アメリカの当事者たちにとっては生死をかけたような争いが続いています。
連邦最高裁の判事が終身制であり、死亡した時に政権にあった勢力の側が次の判事を出せるという、まったくギャンブルのような制度でこの大事(?)を決めていくアメリカという国も変な存在なのですが、まあ全部がギャンブルのような国ですからそれで良いと思っているのでしょう。
その点、日本は司法のほぼすべてが「保守派」ですからその争点はあり得ません。
泥沼のような平和というべきでしょう。
ちなみに、日本では妊娠中絶に対して反対を主張している勢力っているのでしょうか。
アメリカではキリスト教徒の強硬派でしょうが、日本では宗教団体でもそれを表明しているところはあるのでしょうか。
寡聞にしてまったく聞いたこともありません。
皆が皆知らんぷりというのも何か引っかかるものを感じるのですが。
アメリカの「保守とリベラル」について、ちょっと揶揄するような立場での批判を繰り広げましたが、それでも論争が続いているだけ日本よりは良いのかもしれません。
選挙戦のさなかですが、日本では論点自体があるのかないのか、どこも同じようなことを言っています。
日本には「保守」と「リベラル」の争いなどは存在せず、せいぜい「与党」と「野党」の言い争いがあるだけでしょう。
これでは「なぜ投票しなきゃいけないの」という人々を説得することは難しいでしょう。
私も投票したい候補者や政党はありませんが、それでもこのブログで繰り返し政治批判を行なっている以上、投票所には行くつもりでいます。
投票用紙に何と書くかはまだ分かりませんが。