爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「『失われた名画』の展覧会」池上英洋著

「失われた名画」というものがあります。

歴史上これまでに描かれた絵画(彫刻、壁画も含む)は無数にありますが、実際にはそのほとんどは失われています。

しかし、中には他の文献などに紹介されていたり、その複製(模写や写真など)が残っているために実物は残っていないけれど存在は知られているというものがあります。

それらの中で、名画と呼ぶに値するものについて、その失われた経緯や特徴などを紹介しているのが本書です。

 

「失われた事情」は、すぐに想像できるように、地震や水害などの天災、火災、戦争やテロリズム、といったものの他にも「人為的な破壊」というものもあります。

これも結構多いもので、宗教的な理由により改修、切断、そして修復と言う名の破壊、加筆、塗りつぶしなどもよくあることのようです。

また、盗難というのも頻発しておりそのまま発見されていないというものも相当数に上るようです。

 

そして、「その絵が名画であるということが判っている」事情というのも様々で、すばらしい原作というものをコピーするということは古代から行われていました。

古代ギリシャの美術作品を古代ローマ人がコピーしたものは多数残っており、「ローマン・コピー」とも呼ばれているのですが、その原作の方は失われているという例が多いようです。

また、中世やルネサンス期には画家は多くの弟子を使っており、彼らが師匠の作品を模写するということもしばしば行われていたのですが、その模写の方だけが現代に残り、原作の方は失われたということもあります。

 

戦争による絵画の破壊というものは常に起きてきましたが、総力戦となった近代戦ではその規模も大きくなりました。

ナチスドイツはその指導者たちが芸術に親しんでいたことが災いし、占領地から強奪した美術品をベルリンなどに集めたのですが、ナチスドイツ崩壊の際にそれらも道連れにされました。

ベルリンのフリードリヒスハイン高射砲塔というところに収められた美術品は非常に多数あったのですが、ヒトラー自殺の直後に原因不明の火災が起き、そこに集められた数百の名画のほとんどは焼失してしまいました。

 

美術品を破壊したいという衝動に駆られる人間によるテロと言うものも古代から現代まで無数に起きています。

古くは古代ギリシャ文明の頃に小アジアのエフェソスにあったアルテミス神殿が焼け落ち、収められていたアルテミス女神像も焼けてしまいました。

その犯人としてヘラストラトスという男が捕らえられたのですが、彼の告白では「命と引き換えに後世に名を残したい」という犯罪の動機であったということです。

その望みを叶えてはならぬと考えたエフェソスの議会は彼の名を裁判記録に一切残さず、以降市民が彼の名を口にすることを禁じました。

彼は処刑されその裁判記録もすべて抹消されたのですが、しかしテオポントスという何でも記録しなければ気が済まない歴史家のせいでヘラストラトスの名は後世に残ってしまったということです。

 

石造りの彫刻でも徐々に崩れていくのは仕方のないことです。

絵画ではさらに劣化が激しいものです。

そのため、修復ということが行われますが、そのために絵画の価値が失われるということもしばしば起きます。

スペインの19世紀のガルシア・マルティネスの絵画「エッケ・ホモ」をある女性が「善意の修復」を行ったために見るも無残な状況になったということは最近のニュースにもなりました。

しかし、そこまでひどい例は珍しいとはいえ多かれ少なかれ修復により原型が変わるというのは避けられないことです。

また、修復して初期の状態に戻すとあまりにも白くなって印象が変わるということも良くあることです。

 

美術品もやがては失われていくというのは避けられないことなのでしょうが、戦争やテロといったことによる被災は御免蒙りたいものです。