「美術解剖学」という学問があります。
特に人間について、筋肉や骨格といった人体の内部の構造を、実際に解剖して知ることで美術表現をより正確にしようというものです。
それがいつから始まっていたのかは分かりませんが、かのレオナルド・ダ・ヴィンチが行って、その成果に基づき絵画を描いたということは知られています。
本書著者の布施さんも、その美術解剖学を専攻し大学で教えているという方ですが、その眼からダ・ヴィンチの名作「モナリザの微笑み」を見ていくとどうなるのか、そういった本です。
パリのルーブル美術館に収蔵されている「モナリザの微笑み」ですが、いつ訪ねても見物者で混んでおりなかなか落ち着いて見ることもできません。
しかし、美術解剖的に名画を解析していくには、別に複製画でも写真でも良いようです。
それを見ていくと、モナリザの顔は、モデルそのものを写し取ったとは言えないことが分かります。
実は、顔のパーツを別々に見ていくと、いろいろな角度から見たそのパーツを組み合わせて作られていることが分かります。
そう、それはあのピカソの描く絵画と同様の手法が用いられているのです。
(時間的には、ピカソの方がもちろん後の時代です)
ピカソではそれが強調されているので、誰でも気が付きますが、モナリザでは分からない程度に使われているために言われなければ気が付きません。
そして、モナリザのパーツそれぞれは、決して「微笑んではいない」のです。
ところが、全体として見れば、やはり「微笑んでいる」ように見えます。
レオナルド・ダ・ヴィンチが生涯に描いた絵画は、確かなものは10点も無いと言われています。
著者はそのすべてを見てみました。
すると、26歳、最初に描かれた「ジネブラ・ベンチの肖像」から初期のものでは、人物はまったく無表情です。
それが、30代前半に描かれた「岩窟の聖母」になると微笑を見せるようになります。
その変化に何があったのか。
どうやら、その時期にダ・ヴィンチは死体の解剖をしたようなのです。
それで得られた知識と、人間の表情の描写になにか関係があったのかもしれません。
1911年、パリのルーブル美術館で展示されていた「モナリザの微笑み」が盗まれるという事件が起きました。
その事件の捜査中、ギョーム・アポリネールと友人のパブロ・ピカソが警察に逮捕されるということが起きました。
その少し前に、別の事件でルーブルから盗まれた彫刻をピカソが知らずに購入したということがあったため、怪しまれて逮捕されたのでした。
実際はモナリザを盗んだ犯人は別の人物で、二人は関係がなかったのですが、その後の美術史を見るとピカソとモナリザの関係は深いものがあることが分かります。
ピカソの絵に特徴的なキュビズムでは、形態をいくつもの立体(キューブ)に分けて捉え、それを複数の視点から見たように一つの画面に描いていくのですが、その構造というものが、実はモナリザの微笑みに見られたわけです。
彫刻の「微笑み」ということでは、日本の法隆寺の百済観音像も有名です。
しかしその像の微笑みは実はギリシアのアクロポリス美術館に収められている古代のコレー像という石像とそっくりです。
その間になにかつながりがあったのか。
遠く離れた空間と時間の隔たりがあっても、微笑みは似ている。
それは現代美術にも影響しているものなのかもしれません。