最近、名画にスープをかけるといった事件が起きており、その犯人が環境問題(特に二酸化炭素排出規制)を強力に主張するエコテロリストと呼ばれる連中だということが欧米では問題になっています。
もちろん、こういった連中の本家?はあのシーシェパードのように暴力的な行動で動物虐待や環境破壊に反対するといったもので、それはかなり以前から活動していますが、今回のようなソフト?な抗議活動(それでも大きな被害が出ますが)は最近目立つようです。
彼らの主張は石炭や石油などの化石燃料使用をすぐにでも止めろというもので、それを一般にも認識させるための行動だということです。
いわば、グレタ・トゥンベリさんの主張を行動に移したとも言えるものでしょうか。
しかし、世間のおおかたの反応は、「ゆがんだ正義感に過ぎない」といった声に代表されるように否定的なものです。
それで良いのでしょうか。
絵画を破損するような行為はまったく正当化できるものではありませんが、しかし気候変動や気象災害が起きて大変だ大変だという声は高くなっているものの、それに対して二酸化炭素排出を止めようという行動はほとんど起きません。
皆、どこかの誰かが効果的な代替エネルギーや二酸化炭素貯留技術を発明してくれ、それを待てば良いとしか感じていないようです。
眠ったままの大衆の意識を目覚めさせるというのは、これまでも過激派のテロリズムの理由付けとされてきました。
それは危険すぎる行動でありとても見過ごすことはできませんが、しかし眠ったままの大衆には何の責任も無いのでしょうか。
気候変動が大変だというのなら、子供騙しのようなマイバッグや紙ストロー、わずかな節電などで「やったつもり」になるだけでは到底済まないはずです。
自動車もEV化すれば良いなどということはなく、まず自動車交通自体を桁違いに減らす覚悟が無ければなりません。
(なお、気候変動を少しばかりの二酸化炭素排出削減で止めることなど全く不可能だとは思っています)
絵画にスープを掛ける行動自体は無意味で破壊的ですが、その意味は誰もがしっかりと考える必要があるのでしょう。