爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

クリーンエネルギーの本当のところ

これまでの化石燃料に代わって、二酸化炭素を排出しないクリーンエネルギー、(グリーンエネルギー)というものを使わなければならないと言われています。

太陽光発電風力発電の他、水力発電地熱発電もそれに含めています。

 

これらの施設の紹介の際には「発電時には二酸化炭素を発生しない」という言葉が必ず付け加えられています。

しかしここのところはさほど気にされていないようですし、単なる決まり文句のように捉えられているのではないでしょうか。

 

ところがこの部分はしっかりと考えていかなければ、これからのエネルギー政策だけでなく経済全体をも揺るがすようなものを含んでいます。

 

水力発電の巨大ダムは見るだけでも圧倒されるほどの大きさですが、その発電量を聞いてみると意外なほど小さいものです。

日本最大の水力発電所は奥只見だということですが、それでも56万Kw、火力発電所の出力よりは低いものです。

他のクリーンエネルギーでも、装置の巨大さに比べて発電量は小さいことが分かります。

私が最初に風力発電を近くで見たのはも20年も前のことですが、南九州を旅行した際に風力発電の風車を間近に見ることができる場所がありました。

その巨大な風車の下の案内板に書いてあったのが、この発電量が500kw、実はその少し前まで工場でエネルギー部門も管理していたため、補助発電装置を見ていましたが、1000kw規模の重油発電装置などごく小さいものであったことを知っていため、その風車のあまりにも巨大なことと出力の小さいことには驚かされました。

現在は少しは効率が上がっているのでしょうが、桁違いに上がることは考えられません。

太陽光発電もあちこちに設置されており、無数のパネルが並んでいる有様がどこでも見ることができますが、そこの発電量も大きなものではありません。

 

ここにいわゆるクリーンエネルギーの特質が現れています。

それは、そのエネルギーは広く(おそらく宇宙規模で)存在していますが、その密度は非常に薄い(希釈されている)ということです。

そのため、それを人間の実用に供するには大掛かりに集めなければなりません。

そこで巨大な設備を作る必要が出てきます。

 

そしてそこに「一応は今のところ」、ごまかしの入る隙ができてしまいます。

そういった大規模な設備を作るための資材、建設燃料等々には実際はほぼ化石燃料しか使われていません。

風力発電の風車を支える塔にはコンクリートや鉄材を何十トンも使っていますが、それを作るためにクリーンエネルギーなどを使っているはずもありません。

またプロペラも何十mもある巨大なものですが、その素材はプラスチック、これも化石燃料の塊です。

そのような大きな部分の材料だけではなく、ネジ1本、配線1mに至るまでほぼ現状では化石燃料で作られています。

そのような「作るために大量の化石燃料を使った設備」で作られる電力がクリーンエネルギーと言えるのでしょうか。

 

ただし、こういった状況は「一応は今のところ」の仕方ないもので、徐々にこれらの製造に要するエネルギーもクリーンエネルギー化していくことになっているのでしょう。

しかし、本当にそうでしょうか。

風力発電にしても太陽光発電にしても、その電力製造のコストは高く、結果的に電力料金も高くなります。

これが「クリーンエネルギー製造のための装置の製造エネルギー」にも跳ね返ってきます。

つまり、「クリーンエネルギー装置の製造コストはさらに上がり、その結果そのエネルギー価格もさらに上がる」ことになるわけです。

 

中国が太陽光パネルを低コストで作れたのは、石炭火力発電で安価な電力を作れたからだという話もあります。

 

どうやら、中国をはじめ第三世界の国々は脱炭素化などという動きに同調する気はあまり無く、化石燃料が使える限りはそれを用いて安価な製品を作るという意志を持っているようです。

そうなれば欧米日の工業製品はコスト競争力はなくなります。

化石燃料は使うな」という脅しが効くのかどうか。

それが今後の世界情勢を決めます。