爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「図説 テューダー朝の歴史」水井万里子著

河出書房新社から出版されている「図説」シリーズの一つで、イギリスのテューダー朝の時代の歴史を詳説しています。

 

テューダー朝は15世紀にヨーク家とランカスタ家が争ったばら戦争の後、ランカスタ家の傍流の出であったヘンリ7世がイングランド王として即位した時から始まり、その孫のエリザベス1世までの6代の王を含みます。

ヘンリ7世が即位したのは1485年で、エリザベス1世が亡くなった1603年までの時期にあたります。

それまではフランスの王位を争っていたとはいえ、ヨーロッパの中ではあまり影響力も強くはなく、辺境のような地位であったものが、この間に力を伸ばして行くとともに、文化的にも発展しました。

 

この本ではその時期の多くの登場人物の肖像画や、重要文書の図版など、目で見ても楽しめるものを掲載し、イメージを掴みやすくなっています。

 

ヘンリ7世は王朝創始者として様々な努力をしてきたのですが、アイルランドスコットランドへの進出も力を入れたもののそこには大きな火種を作るばかりでした。

 

そして四半世紀の統治の後にヘンリ7世が死去し、あの有名なヘンリ8世が即位しました。

ヘンリ7世には二人の男子があり、長男のアーサーを太子と定め、スペインのアラゴン王の王女キャサリンと結婚させますが、そのわずか半年後にアーサーは病気で夭折してしまいます。

そのため、キャサリンを弟ヘンリ8世と結婚させることになるわけですが、これがカトリックとの対立の基になります。

イングランド側はアーサーとキャサリンは実質的結婚はしていない(性的関係は無かった)と主張して結婚は無効だったとし、教皇側もそれを認めたのですが、スペイン王家はそれならば持参金の残額は払わないと主張するなど、揉めることになります。

 

しかし、ヘンリ8世とキャサリンとの間には後に王位に就くメアリ1世が生まれたのみで、男子は誕生せず、それを求めたヘンリ8世が離婚、そして再婚を求めることで教皇との対立が激化していきます。

 

結局6人の王妃を代わるがわる立てるのですが、男子はエドワード6世、女子はメアリ1世とエリザベス1世ができたのみでした。

 

6人の王妃の肖像画も掲載されていますが、これでもかなり脚色されているのではと思うも、どうも「それほど美女は居ない」ように感じます。

王妃となるにはかなりの家柄でなければなりませんので、容色に優れるというのも難しいのかもしれません。

4番目の王妃クレーフェのアンは肖像画のみで結婚を決めたものの、初対面で実物を見てヘンリ8世は失望し、半年で離婚したということですから、そういった難しさはあったのでしょう。

 

この過程で、政治的な宗教改革とも言われるイギリス国教会の樹立が起こされます。

教皇の影響力を排除することが目的のような宗教改革で、宗教的理念があってのことではないようですが、それがその後もカトリックへの揺り戻しや国教会の強化など、激しい対立の基にもなります。

 

ヘンリ8世の死後、長男のエドワード6世が即位しますが、結核様の症状で早世、その混乱の中でヘンリ8世の姪にあたるジェイン・グレイが即位しますがわずか9日間で逮捕され、メアリ1世が即位することとなります。

エドワードとメアリの治世は中期テューダー朝と言われますが、メアリがスペイン皇太子フェリペと結婚しカトリックに戻るということで、反対する者たちの叛乱が続きます。

さらに凶作や疫病の発生も続き社会不安が強くなりました。

 

メアリ死後、エリザベス1世が即位し、この後期テューダー朝時代でイングランドは大いに発展することとなります。

エリザベスはメアリ即位時には叛乱への加担が疑われ、危うく刑死の危険もあったのですが、難を逃れてその後ようやく王位に就くことになりました。

エリザベスはメアリと異なりプロテスタントであり、国民もその統治に安心したようです。

当時は新大陸への進出も盛んな時期で、スペインとの海戦での勝利や、私掠船の活躍などを力として勢力を伸ばしていきました。

 

この時期にはシェークスピアの活躍もあり、文化の発展も盛んだったようです。

日本で言えば戦国時代から安土桃山時代、世相としても似たところがあったのでしょう。

 

エリザベスには跡継ぎは無く、スコットランド王ジェイムズ・ステュワートを迎えてイングランド王とし、テューダー朝はステュワート朝へとつながりました。

イギリスの隆盛の基礎を作ったような時代だったのでしょう。