白川静さんと言えば甲骨文字の研究で漢字の体系的な成り立ちの謎を解明した漢字学の大家と言える人ですが、「日本語の語源」ということについても多くの研究をされています。
というより、もともと白川さんの出発点は万葉集を研究する国文学者であったということです。
その過程で万葉集と中国古典の詩経を比較する必要に迫られ、そのためには漢字の成り立ちが分からなければならないと考えて甲骨文字や金文の研究を始めたということでした。
白川さんは、「字統」「字訓」「字通」の3つの字書を著しましたが、そのうちの「字訓」は日本語の語源に関するものでした。
この本では「字訓」などを参考に、日本語の言葉の語源を説き明かしていきます。
「うらやましい」という言葉の「うら」はもともとは「こころ」という意味でした。
「うらやむ」とはしたがって「心病む」のことでした。
字訓には「古くは嫉妬の意味で用いる」とあります。
「うらやましい」はその「うらやむ」を形容詞化したものです。
この「心(うら)」を動詞化したものが「うらむ」です。
相手に対する不満の気持ちを心の中に持ち続けること。
他にも「うれふ」「うらぶれる」「うれし」「うらなう」などもこの「うら」から派生した言葉です。
古代では「眼で見る」ということは「魂振り」すなわち見ることで自分の生命力を強くするという行為と考えられていました。
そのため、「目(め)」から生まれた言葉が非常に多くなっています。
「前(まえ)」も目の関係語で、「目方」(まへ)のこと。目の先ということで前方のことを示します。
「まばゆい」「まぶしい」の「ま」も目の意味です。
「まもる」も「目を離さずに見つめて守護する」という意味から産まれました。
その「まもる」に接頭語の「さ」をつけたのが「さまらふ」です。
これがのちに「さぶらふ」に変化し、さらに「さぶらひ」つまり「侍」が生まれました。
「習うより慣れよ」という言葉があります。
物事は人に教えられるよりも自分で経験を重ねた方がよく覚えられるという意味です。
しかし、もともと「ならう」も「なれる」も同じ意味の言葉だったようです。
「ならう」とは「慣る(なる)」に接尾語の「ふ」が付いたもので、「なる」という言葉が「他の優れたものをまねして習熟する」という意味があったそうです。
なお、「まなぶ」と「まね」も同じ語源でつながっており、人のまねをするということが「まなぶ」すなわち「まねぶ」ということでした。
その後、「まねぶ」は模倣するという意味だけに使われるようになりました。
本書ではこのような語源と関連語について50の例が挙げられています。
漢語が伝わる前の日本語について、考えるきっかけになるかもしれません。