爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「きみの脳はなぜ『愚かな選択』をしてしまうのか」ダグラス・T・ケンリック、ヴラダス・グリスケヴィシウス著

人は意思を決定する際、合理的に考えるということを前提としていた古典経済学は間違っており、結構いい加減な決定をしているというのが行動経済学の考察ですが、実はその「いい加減」に見えるような決定過程は、人間の「生物としての進化」によって影響されているというのが、本書著者のお二人の意見です。

 

かなり愚かな決定のように見える場合でも、それは長い進化の過程においては有利に働いてきたのではないか、それを多くの「愚かな決定」例について説明しています。

自分の心理というものを考えても、結構その説明は納得できるものと感じます

 

人は何か決定をすることを迫られた場合、「自己」というものが思考して決断しているように思われているかもしれませんが、どうやらそのような統一的な「自己」というものは非常にあやふやな存在のようです。

 

多くの人は時と場合によりまったく別人かと思うような決定をしてしまいます。

かのアメリカの偉人、マーチン・ルーサー・キング・ジュニアは黒人の権利を守り地位を高めようとする公民権運動の指導者として大きな影響をもたらしました。

その人格も高潔で、多くの面で人々からの尊敬を受けていました。

しかし、人並外れた「女たらし」であったことも事実であったようです。

妻と子供がありながら、愛人をもうけ、さらに旅先では何度もつかの間の情事を繰り返していました。

彼はそのような不道徳な本性を隠して高潔な道徳を語っていた偽善者だったのでしょうか。

そうではないというのが本書の説明です。

道徳を語るのも一つの本性、どうしても女性を求めてしまうのも一つの本性であり、どちらも彼を形作る自己であるということです。

 

多重人格というと精神病の一種のように聞こえますが、実際には誰もがそのようないくつもの人格を持っていると考えられます。

これを「下位自己」と言います。

人は人生のいろいろな段階でまったく異なる状況に対し、まったく異なる対応をしなければなりません。

それぞれに適した自己というものが現れて、その場その場に適当な対応をしていると考える方が正しいのかもしれません。

 

これを本書では「最低7人の下位自己」としています。

それは、「身体への危害を免れる」「病気を避ける」「友人を作る」「地位を得る」「異性の気をひきつける」「その異性を手放さない」「家族の世話をする」というものです。

このそれぞれを上手くやっていくということは、人間の社会への適応度を高め、結果的に子孫繁栄につなげました。

 

ただし、この一つ一つはそれぞれ別の状況ではうまく働かないどころか、邪魔になることもあります。

異性を惹きつけようとする行動は、友人を作る状況や家族の世話をするという状況とは相容れないことがよくあることは、分かり易いでしょう。

そして、「どの下位自己を発動するか」ということも、自分で理性的に決められるわけではなく、ホルモンの働きや異性の存在を意識することなどで自動的にスイッチが入ってしまうようなのです。

 

配偶者獲得のための戦略は、男性と女性とでは異なっています。

色々な心理実験が行われてきましたが、投資や博打といった状況で女性が存在すると男性は危険な勝負に出てしまうということが知られています。

また、女性の気を引くためには金を浪費してしまうという行動は男性ならだれでも程度の差はあれやり勝ちなことでしょう。

女性はそのような無駄遣い?はせずに、「自分を飾る」ことに金を費やす傾向があるようです。

これも心理実験が行われており、生理周期の排卵期には「ワルで遊び人風の男性に引っかかりやすい」という結果も出ています。

その他の時期には「堅実でマジメそう」な男性に魅かれる人でもその傾向があるようです。

 

結婚に際し、財産のやり取りを行うということはどの文明でもあります。

しかし、花婿側が花嫁側に支払う「婚資」の場合と、逆に花嫁側が花婿側に支払う「持参金」の場合の両方があります。

西洋社会では持参金の方がなじみがあるのですが、実際には婚資が世界の3分の2の社会で見られる一方、持参金が見られるのは4%に過ぎないそうです。

生物学的に見れば、親の投資という観点からみてメスの方がより負担を負います。

オスはせいぜい精子を提供するだけですが、人間社会ではそれだけでは済まなくなっています。

赤ん坊が無事に育っていくためには、かなりの投資が必要となるため、男性側からその提供ができると子供の成長にも有利になります。

それを主張するためにも婚資が多額であるほど有利とアピールできるわけです。

持参金はその点では違うように感じますが、実際にはその持参金は花嫁と生まれてくる子供の成長のために使われるということが了解されているために、本質的には同じことになるようです。

 

本書の題名にあるように「愚かな選択」をしてしまうのはなぜかと言うことですが、実際には決して「愚か」であるわけではなく、生物進化の歴史から見れば意味のあることだったようです。

なお、このような堅い内容を説明するにしては、かなりくだけた手法で書かれていますので、わかりやすいものになっていたのではないかと思います。