化石燃料の使用は抑えなければならない、しかしエネルギーの使用はこれまで以上にやっていきたいというはかない望みに押されて新エネルギー(と言われるもの)の開発が次々と登場します。
しかし、その多くは「これからの技術開発が期待される」だけのものに過ぎず、せいぜいその分野の研究者たちに研究費をプレゼントし、関係企業にあぶく銭を注ぎ込むだけのもののようです。
このような事態は今後のエネルギー逼迫状態に対し、少しでも保っておくべき国力をどんどんと瘦せ細らせてしまうことになり、大変な時になって金切れになるという最悪の状況になってしまう危険性もあるでしょう。
この原因としては、上記の「科学技術開発信仰」とでも言うべき「いつかは画期的な技術開発ができる」といういわれのない期待があることがあげられるでしょう。
特に、コンピュータや通信関係など、目覚ましい発達があった分野もあります。
それに目をくらませられて、あたかもエネルギー部門でもそのような画期的技術開発が起こるのではとの期待が膨らまされるのも無理はないかもしれません。
しかし、このエネルギー分野について考えれば、そのような技術の限界の突破はそう簡単なものではないと言えそうです。
莫大なエネルギーを生み出すのは明らかであった核分裂、核融合もそこから安定的にエネルギーを取り出すという技術は何十年たっても安定しません。
核分裂原子力発電は一応形にはなっているものの、事故の危険性が増すばかり、核融合にいたっては形にすらなりません。
太陽光発電も変換効率がかなり上がっているとは言いますが、それでシステム全体の発電能力の限界も見えてきたようです。
風力発電はそれ自体昔からの技術からほとんど進んでもいないものであり、今後もさほどの能力アップも期待は薄いでしょう。
「化石燃料を使わない」という方向性は多くの人の賛同を得ているようですが、そのために「エネルギーを無駄遣いする」のはお門違いでしょう。
そしてそれは「化石燃料の過剰使用」にもつながり、脱炭素化のためにも何の効果も無くしていことになります。
このような事態を避けるために必要なのが「総合エネルギー学」の振興であると思います。
ここでは、エネルギーを扱う技術のすべての面での評価を、公正な方法で行います。
そのため、実施主体も公的機関で行う必要があります。
様々なエネルギー技術を、その「現状」だけでなく「開発可能性」まで判定することになります。
現状で、こういった活動をされている方が居るかどうか、正確には知りませんがおそらくほとんど居ないのではないでしょうか。
それで見込みのないものについては、まあ「開発は止めろ」とまでは言えないでしょうが、国庫からの補助は行わないといった方策が必要になるでしょう。
「今はダメな技術でも取り組んでいけばモノになるかもしれない」という批判が聞こえそうですが、現状はそんな甘いものではありません。
すでに国の財政がどうしようもないレベルまで悪化している状況で、無駄な金を使う余地はないはずです。
もちろん、どんな技術でも最低限の研究は行っていくのは自由ですが、今のようにどうしようもない分野に数百億もの金を注ぎ込むというのは許されることではないでしょう。
なお、現在の科学技術の分野では「他人の研究分野には口を挟まない」といった「美風」?が学界を覆っているようです。
しかし、この総合エネルギー学はそれをすることが目的となります。
非常に厳しいこととなるでしょうから、それに携わる人も固い信念と的確な科学的思考力が必要となりますので、それにふさわしい人間が居るのかどうかも分かりません。
極めて見通しは暗いのですが、これ無しには将来のエネルギー政策は展開できないでしょう。
(つづく)