爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「仮定の問題」と政府公式発表

オリンピック開催をめぐる話ですが、「政府公式発表のあり方」の方向から考えてみます。

 

国民の大多数が今年夏のオリパラ開催には疑問を持っているにも関わらず、相変わらず政府や東京都、オリンピック組織委員会IOCなどは開催以外の可能性はまったく考えておらず、開催準備に邁進しているという公式発表を繰り返しています。

mainichi.jp

この時期になって、そんなはずもないことは誰にでも想像できます。

 

というより、「色々な可能性についての対応策はすべて考えておく」のが責任ある立場の者の最低限の義務であると言えるでしょう。

 

それにも関わらず、公式発表としては「開催以外考えていない」としか言わないのはなぜか。

 

おそらく、開催責任のあるものが「中止の場合も考えている」と発表するということは、多くの人々に動揺を与えるからという危惧を持っているからでしょう。

 

しかし、これは国民には冷静な判断能力が欠けていると言わんばかりの態度であり、国民をはなはだしくバカにした見方と言わざるを得ません。

 

正直に「いろいろな可能性をすべて考慮し、どうなってもしっかりと対処できるように検討を続けている」と言うのに対し、

「開催以外は考えていない」と言いながらその場になって「やむを得ず中止します」と一言で済ませるのと、どちらが公正で理知的な態度と言えるでしょうか。

それは明らかでしょう。

 

オリンピック開催問題だけでなく、最近の政府発表はすべてこのような意識が見え隠れしています。

前のアベ政権は国民を見下し、その判断力はほとんど無いと見なしているかのような対応を続けていました。

それである程度の成功を収めたことを見習ってガースー政権も同じ態度を取っているのでしょうか。

 

(というのは、私の「公式発表」です。それがある程度上手く行っているのはその程度の国民だからというのが「内緒の話」です。)