爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「2050年二酸化炭素排出実質ゼロ」でどうなるのか。(続)

政治家の発言などほとんど重さもないもので、「国際的な約束」だろうが何だろうが踏み倒すのが通例ですが、一応はそれを目指したポーズだけは取ろうとするでしょうから、「2050年二酸化炭素排出実質ゼロ」で進もうとだけはするでしょう。

 

その排出量から差し引こうとしている「森林吸収」や「二酸化炭素地中貯留」、その他の計算上のゴマカシは不可能だということを前回示しました。

それでは、本丸というか天守閣と言うか、砂上の楼閣と言うか、「化石燃料エネルギーから自然エネルギー(または再生可能エネルギー)への転換」について、予測をしておきましょう。

 

ここで、その前提となる状況だけはまとめておきます。

 

化石燃料の使用は削減していくと言いながら、各国ともに裏では使用は止められず、また新興国などは使い放題の状況は続くので、石油、天然ガスの順に資源の限界に近づき価格の高騰が続く。

 

風力発電太陽光発電といった再生可能エネルギーは、その装置製造や建設、維持管理に使われるエネルギー量があまりにも多いために、実質的に使用可能となるエネルギーはわずかなものであり、いくら発電装置を増設してもエネルギー需要を満たすには不足する。

さらに、これらの電力に依存する状況になっていくと、電力供給を滑らかにするための蓄電池に莫大な装置建設が必要となり、コスト(財源・エネルギー両方とも)が膨大なものとなることが、ようやく誰の眼にも明らかになっていく。

 

★その他のエネルギー関連の開発研究は結局は研究費を使いたいだけであったことが明らかになり、実用に至るものはほとんど期待できない。

 

つまり、現在ではまだ冗談の一種で済んでいる不安定な電力供給という問題点がはるかに大きな影響を及ぼすようになってくるということです。

 

★このような状況になっても、それでもエネルギー依存の経済成長体質からは抜け出すことができず、金融の賭博資本主義に金を集中させてバブルと崩壊の社会混乱は頻繁に繰り返される。

 

 

さて、このような状況に近づいていく2050年まではどういった世界になっていくでしょうか。

 

再生可能エネルギーへの転換という、もはや世界的な命題となった方向への進行は止められません。

レミングの行進のように世界中が進んで行くでしょう。

しかし、そこで起きるのは「在来型化石燃料エネルギーの浪費」です。

太陽光発電パネルにしても、風力発電の巨大羽根にしても、エネルギーを大量投入しなければ製造できません。

そこに使われるエネルギーは、しかし未だに「化石燃料で発電した電力」や「重油などの液体燃料」です。

そしてそれが強まるほど、化石燃料の浪費から供給が間に合わなくなり、エネルギーコストの高騰につながるでしょう。

 

それは、結果として出来上がる「風力発電装置」「太陽光発電装置」の価格高騰にもつながります。

とはいえ、そうなれば電力料金もすでに高騰しているでしょうから、売電価格も上がり「お得感」はまだ残るかもしれず、レミングたちの投資意欲も薄れることはないかもしれません。

 

しかし、エネルギー価格の高騰は大きな社会不安につながります。

エネルギー依存の社会生活に浸かり切った人々にはその基となるエネルギーがいくら高騰してもそれを削るわけには行きません。

日本は遅れるでしょうが、他の諸国では暴動や内乱が頻発することになります。

 

そういった状況では否応なしに原発の再稼働、新設も相次ぐこととなりますが、それで再び大事故が起きなければ人類の幸運と言うことでしょう。

 

中にはエネルギー依存の生活に見切りをつける人々も出てくるでしょう。

しかし「うちはエアコンは使いません」とか「自動車には乗りません」といった程度のことではどうしようもないということを思い知らされることになるでしょう。

エネルギー価格高騰の社会では、食糧確保も厳しくなります。

衣食住、すべてのところに価格上昇が起き、多くの人が窮乏生活になるでしょう。

 

そして、最後の破局はどのように起きるか。

私は、兵器に用いる燃料が確保できなくなった時点が一番危険な時であると見ています。

かつての大日本帝国の軍隊と同様に、「まだ燃料が残っているうちに」イチかバチかの行動に出る国が必ず出てくるでしょう。

それまでにエネルギー依存社会を転換する決断ができるかどうか。

それが人類が生き残れるかどうかのポイントだと思います。

 

このコロナ禍は、これまでのエネルギーに依存した経済成長社会というものから、目を覚まさせてくれるものだったのかもしれません。

しかし、目を覚ますどころか経済活性化と称して巨額の借金を注ぎ込むという暴挙を世界各国がやってしまった。

破局は近づいたということなのでしょう。