爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

秋篠宮が「皇太弟」ではなく「皇嗣」となったのはなぜか。

つい先日、「立皇嗣宣命の儀」というものが行われ、天皇の弟秋篠宮天皇位を継ぐ立場となったということを宣言したのですが、どうもその「皇嗣」という言葉に困惑しておりました。

歴史的にも「皇太弟」という名称が使われていたはずと思っていましたが、それがなぜ「皇嗣」となったのかと。

 

それについて、「現代ビジネス」に共同通信社編集委員という大木賢一さんが記事を書かれていました。

news.yahoo.co.jp

この立皇嗣の礼はこれまで行われていた「立太子の礼」にならって実施されたそうですが、秋篠宮は太子ではない以上「立太子の礼」という言葉は使えないために、言葉だけ「皇嗣」と変えたようです。

 

実は、皇室典範という法律には「太子」という言葉しか使っていないため、今回のような場合は規定していなかったようです。

 

ただし、これまでにも歴史的に「皇太弟」という名称は存在していたため、それを使うことは可能であったはずです。

 

上記記事中にはその間の事情について、「秋篠宮が皇太弟という名称に難色を示したので皇嗣という言葉になった」とあります。

そして、秋篠宮自身が「天皇となるための皇位を受け継ぐ教育を受けていない」ということにこだわっているとしています。

 

そして、儀式の席上での天皇皇后の堂々とした態度に比べ、秋篠宮はまったく覚悟が決まっていないように見えたということで、まだ本当に皇位を継ぐ気はないのではとも。

 

これはやはり、私も以前に指摘したように、息子が成人するのを待って皇嗣の地位を辞退して譲るつもりではないかと思います。

息子の悠仁親王ももう14歳とか。

20歳成年としてもあとわずか6年です。

そこで悠仁親王が本格的な皇嗣となれば、少なくとも50年は天皇家も持つということでしょう。

もうそのあとは私の知ったことではありません。