爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「女たちの壬申の乱」水谷千秋著

壬申の乱と言う言葉だけは誰でも高校時代に習った日本史の中で聞いたことはあるでしょうが、その中味はほとんど印象にないものかもしれません。

まだ記録というものがほとんど無く、正史の日本書紀くらいにしか描かれていないということもあるのでしょう。

 

日本古代史が専門の歴史学者である著者の水谷さんは、さまざまな方向からその細部を検討し、特に関係する女性について調べていくとまた色々な点が分ってくるとして、そこに光を当てる手法でこの事件を描きました。

 

壬申の乱とは、大化の改新のあと力を奮った天智天皇中大兄皇子)の死後、息子の大友皇子に天智の弟の大海人皇子が反旗を翻し倒したというものです。

天智天皇が近江に朝廷を移したことに豪族が反発したとか、大海人皇子が美濃などの東国の豪族を味方につけたとかいったことも記憶にあることかもしれません。

 

しかし、そもそも叔父と甥の戦いであるということに加え、当時は特に王族では叔父と姪、異母の兄妹の結婚というものが多かったということもあり、例えば大海人皇子の妻の鵜野皇女(のちの持統天皇)は天智天皇の娘でもあるという、複雑な関係でした。

その他にも大友皇子の妻にも大海人皇子の娘がいるといった具合に、入り組んだ血縁同士が戦ったことになります。

その意味でも、「女」に焦点を当てて壬申の乱を見るということは非常に大きい意味を持つと言えます。

 

 

焦点を当てられる女性としては、鵜野皇女(持統天皇)の他にも、天智天皇の皇后の倭姫、天智・天武の双方に関係のあった額田王、その他数多い天智・天武の后妃たちにも触れられています。

 

天智天皇は長い治世のあいだ、弟の大海人皇子の力を頼りとし、皇太弟としていました。

しかし自分の息子の大友皇子が聡明に育ってくると彼を後継者にという望みを抱くようになり、徐々に重要ポストにつけるようになります。

天智天皇が重病となり死期を悟った時、大海人皇子を病床に招き最後の会話をしました。

そこで天智天皇大海人皇子皇位を継ぐことを頼みますが、天皇の真意はそこにはないことを分かっていた大海人皇子はそれを断り出家して吉野に隠棲します。

ところが、この会見について描写する場面が日本書紀には2か所あるという、異例のことになっています。

天智天皇の治世を描いた「天智紀」と天武天皇の「天武紀」の双方に書かれているのですが、その内容が微妙に異なります。

天武紀にあって天智紀にないのが、この会見の前に大海人皇子の側近の蘇我臣安麻呂が天智には陰謀があると入れ知恵することと、大海人皇子が出家して吉野に下る時にある人が「虎に翼をつけて離すようなものだ」と語ったという場面です。

日本書紀の中でも天智紀と天武紀は編者が異なると考えられますが、それ以上の意味がありそうです。

 

この時代の皇后・天皇を産んだ妃などは日本書紀などの公的な記録に逝去とその墓についての記載があるのが普通です。

しかし、天智天皇の皇后であった倭姫と他の妃であった越智娘、姪娘についてはそれらの記載がどこにもありません。

これらの女性がどこで亡くなりどこに埋葬されたのか。

実はこれは肝心の大友皇子とも共通です。

謀反を起こしたのが大海人皇子であったとしても、勝利した側が天皇となった以上、敗れた大友皇子は罪人として扱われ正当な埋葬もされません。

女性の場合は捕まったとしても罪に問われることはなかったかもしれませんが、大友皇子の後を追って自死したということでしょうか。

 

一方、乱の起きる前に近江を逃れて大和に行った人々もいます。

額田王とその娘の十市皇女、そしてその子供の葛野王でした。

十市皇女大友皇子の正妃、そして葛野王大友皇子の息子でしたが、天武の朝廷でも命を奪われるということもなかったのでした。

とはいえ、額田王もその後は歌人としての活躍も無く静かに年老いていくこととなります。

 

はるか古代の戦乱ですが、肉親同士の争いということで多くの悲劇があったようです。

誰かが小説に書いているかもしれませんが、その人間関係も非常に複雑であり、読者がとまどうばかりかもしれません。

大河ドラマにしたとしても普通の視聴者には関係がよく分からないでしょう。