爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「クジラコンプレックス 捕鯨裁判の勝者はだれか」石井敦、真田康弘著

日本が実施していた調査捕鯨をめぐり国際司法裁判所で裁判が行われ、日本が全面敗訴となったのは2014年3月でした。

それは政府や行政、捕鯨関連業者などに大きな衝撃を与えましたが、彼らの多くは反捕鯨派に対して反発をするばかりで、建設的な取り組みをすることはありませんでした。

 

こういった状況を著者は「クジラコンプレックス」と呼び、その解析と捕鯨裁判の詳細を本書にまとめました。

 

第1章「クジラと人間のかかわりの歴史」から、第2章「捕鯨国債管理体制」、そして第3章「ドキュメント・捕鯨裁判」第4章「判決後」、第5章「日本の新捕獲調査計画をめぐる攻防と続き最終の第6章で「捕鯨裁判が映し出す日本社会」とまとめています。

 

日本では捕鯨と鯨食の文化があり、それは守られなければならないと言われます。

しかし縄文時代からクジラを獲ったという歴史はあるものの、その方式は連続性はなく大きく変わっています。

江戸時代に鯨を取っていたのは「網取式捕鯨」というやり方でした。

しかしその後遠洋漁業で捕獲する米国式捕鯨によって網取式捕鯨の獲物のクジラは獲り尽くされ崩壊しました。

その後、日本で誕生したのはノルウェー式の捕鯨であり、明治末期にその会社を立ち上げた際にはその要員の主要なメンバーはノルウェー人を雇っていたのでした。

鯨肉食が伝統文化というのも、極めて限られた地域のみの話であり、網取式捕鯨が行われていた地域では食べられていたものの、他の地域にはなじみのないものでした。

それが第二次大戦敗戦後の食料難の時代に畜肉などは手に入らなくなったために鯨肉を食べたという、ほんの一時期のみのことでした。

 

現代における捕鯨の国際管理体制は、1946年に締結された国際捕鯨取締条約によって規定された実務機関のIWCが管理しています。

その中で、商業捕鯨を制限しようとする反捕鯨国によって徐々に捕鯨は行われなくなり、日本はその中で調査捕鯨という逃げ道を見つけました。

科学的調査を名目として捕鯨をするものの、捕獲したクジラは食用として流通させるというものです。

これを調査の名を借りただけで科学的ではないとして国際司法裁判所に提訴したのがオーストラリアでした。

なお、シーシェパードといった反捕鯨団体が実力行使などを行うというニュースも数多く流れましたが、そういった団体の活動とは一線を画すものでした。

 

捕鯨裁判の詳細を描写した第3章がこの本でも主要部かもしれません。

2010年にオーストラリアは南極海で日本が行っているいわゆる調査捕鯨は科学調査を目的としたものではなく商業捕鯨だとして、国際捕鯨取締条約に違反していると提訴しました。

2014年に下った判決では、日本の行っていた調査捕鯨JARPAⅡは条約に違反しており、今後実施してはならないという、完全敗訴とも言うべきものでした。

しかし裁判の開始当初はこの問題を国際司法裁判所で扱うこと自体を日本は問題視するなど、裁判そのものに対する姿勢がさほど真剣ではなかったようです。

また調査捕鯨の科学性については実施国が裁量できると言った慣例?があったのか、その点についても日本側は疑問視していました。

しかしオーストラリアは周到に作戦を練り裁判自体でのパフォーマンスにも気を配るという姿勢で、日本よりはるかにきちんと準備を整えていたようです。

本書中で著者も「そもそも」の問題点を挙げていますが、こういった裁判では当事国の言語を使用することもできたのに、日本は日本語の使用を申請せず通常通りのフランス語と英語のみの使用で合意していました。

そのため、日本側の証人として日本の研究者や技術者を招聘することもなく、海外の研究者のみを日本側参考人とし、しかも彼らが口を滑らして「オウンゴール」発言まで飛び出したという、情けない事態となったようです。

 

国際司法裁判所はオーストラリア側の意向に応える以上に科学的な問題点の吟味を十分に行い、日本側が科学的調査のためと称して続けていた調査捕鯨が実際には肝心の科学的な基本の点で穴だらけであることを見極めました。

その結果、実際には鯨肉を売りたいがための商業捕鯨であるという実態が露呈してしまいます。

これでは完全敗訴もやむを得ないものでしょう。

 

この判決に対し、日本政府、水産庁官僚、そのブレインであった大学教授たち、そしてマスコミなどが判決に対する批判を繰り広げました。

そこにはシーシェパードなどの反捕鯨団体と判決を同列視し批判すると言った論調があふれていましたが、その科学的側面というものを正確に理解し批判できたものはほとんどありませんでした。

その後はさらに新たな調査捕鯨の開始を目論みましたが、その基底には科学的観点が欠けていたのは変わらないというものでした。

 

この本は2015年の出版ですが、その後2018年には日本はIWCを脱退し商業捕鯨も可という道を選びます。

 

なお、本書最後には諸外国の例をあげ「科学技術評価局」といった官庁を設置し、十分に科学的な側面の評価ができるようにするべきだという記述がされています。

現状では専門家と言っても官僚が出てくる例が非常に多いのですが、それでは不十分だということです。

これについては大賛成なんですが、官庁だけ作っても中身が伴うかどうかは怪しいものですが。