爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

検察官定年延長問題の騒ぎで民主主義の方法を考える。

検察官の定年を延長するという、一見普通の法案のように見えて問題を抱えるものの審議をなぜか急ぐ政権に対し、多くの人が疑問を呈するという状況になっています。

 

その問題をテレビのワイドショーでもやるという、まあ当然のようで違和感を感じてしまう情勢でもあるのですが、そのテレビ番組の中でかなり気になる話題が上がりました。

 

政権のゴリ押しといううさん臭い状況に対し、芸能人まで懸念の声を上げるという状況が気に食わない人々も多いのでしょうか。

 

さて、件の番組で「検察の人事を内閣が支配することは危険だ」という意見に対し、訳知り顔のコメンテーターの爺が「国民の選挙で選ばれた国会議員が指名した内閣がすべてを決めるのは当然だ」といった趣旨の発言をしていました。

 

これは、国民主権三権分立というものが両立していないことを示すものです。

 

国民主権といっても、主権者の国民ができることはほぼ「選挙で議員を選ぶ」ことに限られますので、国民主権を絶対視するなら国会議員の国会というものが絶対権力を持つことになります。

そこで多数派を占める政党が作る内閣というものは、その政党の仕組みにもよりますが、政党を支配するものが内閣の長の総理大臣となるということであれば、内閣に絶対権力が移行します。

その内閣が検察はもちろん、裁判所も人事権を握っている以上、権力は集中します。

 

本当に三権分立が必要であるならば、司法、立法、行政のコントロールはそれぞれ独立した決め方ができなければなりません。

そんなことが可能かどうか。

司法は国民が直接選ぶ?そんなことをできるはずもありません。

立法府の多数派の政党の最高責任者と行政府の長とは重ならない様な制度を作る?これも形だけ別にすることで誤魔化されるでしょう。

 

実は「三権分立」などというものは幻想ではないか。

そういった問題提起をしてくれただけの貢献は安倍にあったのかもしれません。

 

さて、もう一点の「国会への国民の負託」ということはどうでしょうか。

確かに現在の自公政権を支える自民党公明党の議員数は過半数をはるかに超える絶対多数を確保しています。

しかし、これらの議員に投票した有権者は「すべてを任せる」ことに本当に同意しているのでしょうか。

彼らの多くは「景気を良くするというから投票したが、勝手気ままに国をいじるのを許した覚えはない」と言うかもしれません。

 

ところが、現行制度では、そのような人の票と「すべてをお任せします」という人の票を区別はできません。

どの票も「すべてあなたのお好きにしてね」というものだと考えられても文句は言えません。

 

せめて、大まかなところは選んだ国会議員がやることは同意しても、大事なものは国民投票にかけるといった方向で制度を変える必要があるのでは。

 

 

なお、現在の選挙制度では極めてわずかな得票率で絶対多数を取ることができるという問題点はもう語るのも恥ずかしくなるような下劣なものです。

小選挙区制が良いなどと言う、何の根拠もない雰囲気づくりだけで出来上がったような欠陥制度でこういった政治状況を作り出してしまいました。

これすら何もできないような政府、政党がろくな政策を実行できるはずもありません。