八代の歴史散歩と称し、古墳や城跡、干拓事業などを訪ね歩いていますが、もう一つの八代の顔、と言うかこれが一番大きいのですが、「商業都市」としての八代があります。
室町時代から長崎からの商品の中継地として栄えており、特に江戸時代には非常に繁栄していました。
現在でも有名な祭礼である「妙見祭」はその当時の商人たちが財力を傾けて行なったもので、その山車は豪華なものとして知られています。
その商業活動を支えたのが船の着く港でした。
室町から江戸初期にかけては松江城のすぐそばの「徳渕津」だったのですが、徐々に使いづらくなって「蛇籠港」に移動しました。
そして明治以降にはさらに海寄りの「内港」に移動し、現在ではさらに海岸沿いの「外港」が建設されています。
徳渕津から内港までの概略図は以下のものです。
ちょっと字が小さいですが、赤の矢印の上流側から徳渕津、蛇籠港、内港です。
今回はその真中の蛇籠港を見てきました。
説明板等かなり傷んでいますが、15年ほど前に作られたようです。
誰も見に来るわけではないので関心も薄いのでしょうが。
現地は今は漁船の係留地となっています。
時期が悪いのでしょうか、ほとんど出港している船もなく誰も居ない港でした。
現在ではこの右手がスーパーとなっていますが、古い町並みもありました。
そのすぐ先が、妙見祭の時に八代神社(妙見宮)に向かって行列が出発する、塩屋神社です。江戸時代には町外れだった所です。