現在残る八代城(松江城)が三代目とするなら、二代目というのがいわゆる麦島城です。
その位置関係をグーグルアースから得た図で示します。
(Google Earth より得た図を加工して掲載)
これは八代市中心部を海側の八代内港上空のあたりから見たことになります。
正面右側の山麓にあるのが一番古い古麓城跡、その下のあたりが最も古い町です。
その後、豊臣政権が成立して肥後の南半分を与えられた小西行長が、1588年に築かせたのが麦島城です。
その当時はまだ前川と球磨川の分岐点は掘削されておらず、前川は入江で徳渕津と呼ばれ港となっており、長崎などからの商船が入り込んでいました。
その後、小西氏は関ヶ原の戦い後に取り潰され加藤氏が入城しました。
しかし、1619年に八代地方を襲った大地震で城は崩れ去り、その後は徳渕津の対岸の松江に城を再建することとなります。
麦島城はその石垣の石材なども松江城に移され、まったく地に埋もれてその発掘が始まったのもごく近年になってからのことです。
今は中洲となっている麦島に入り、住宅街の真ん中にこのような城跡と表示されたところが現れます。
この杭があると何か歴史的な遺物なんだろうなと思わせるようになっています。
案内板の説明によると、この付近は天守のあたりだったようで、広大な城だったために本当は付近がほとんど城域のようです。
寒波の襲来の真っ只中だったので、早々に帰りました。