仏教の僧は、権力者側に立つことも多かったのですが、それにとらわれずに自由に活動したアウトサイダーも居ます。
そういった僧たちの中には「奇僧」と呼ぶべきような超能力を持つと思わせた人々や、「快僧」といったその生き方が多くの人の心を捉えた人々がいます。
奇僧として、道鏡が挙げられ、快僧としては一休が代表的なものとされています。
本書では、それ以外にも西行、文覚、親鸞、日蓮、一遍、尊雲(護良親王)、快川、天海が紹介され、合計10人の「奇僧、快僧」の伝記が載せられています。
彼らは皆、程度は様々でもアウトサイダーと呼ぶことができます。
その中で自由に、力強く生き抜いたと言うことができます。
もちろん、僧であるということで当時一流の学識も身につけていると考えられていたはずであり、そのような「知的アウトサイダー」には今日以上に社会の期待も大きかったのでしょう。
そのような期待の中で、彼らに対する伝説も神話と化し大きくなっていきました。
ただし、著者の考えではそういった「奇僧・快僧」の出現も江戸時代初期で途絶えてしまいます。
キリスト教禁制の手段ともなった、檀家制度のため、僧侶たちの身分は安定し収入も確保されることになるのですが、そのため僧侶の中にもアウトサイダーの要素が無くなってしまいます。
それ以降は奇僧の出現する余地は無くなってしまったようです。
一休は後小松天皇の皇子であると言われています。
しかし、小さい頃に出家させられてしまいます。
当時は足利義満の勢力が強く、また一説には義満は自身が天皇になろうという欲望があり、天皇の皇子は邪魔なので皆出家させたとも言われています。
そのためもあり、非常に反骨心の強い人に育ってしまいました。
当時の禅宗は幕府や朝廷との結びつきも強く、僧侶も金欲に侵された人々が多かったようです。
そのためか、一休も僧侶たちの批判を非常に激しく行っていました。
老年になってからは、盲目の尼僧の森侍者と同居したそうですが、それも僧侶としては破戒行動ですが思いのままに動いたものなのでしょう。
奇僧・快僧を輩出するというのも仏教界にパワーが溢れていたためであり、江戸時代以降はそういった力は無くなったというのは寂しい真実なのでしょう。