爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

あおり運転対策と言っても、事実認定はどうするつもり

昼時のテレビを見ていると、いろいろな問題を次々と取り上げて専門家やらコメンテーターがあれこれ言うという番組をいくつも放送していますが、ある番組で「あおり運転」を扱っていました。

 

車線変更をしたらすぐ後ろの車が怒ってあおり運転をしてきて、それもナイフを手に振り回しながらという、わかりやすい?ものでしたが、警察の前に誘導したらそのままついてきてそこで逮捕というアホな事例でした。

 

それに対し、コメンテーターたちは「これだけ放送で取り上げているのにまだ無くならない」などと、たかがテレビ番組の分際で何を偉そうにとも思う発言もありましたが、まあそれは良いとして。

 

あおり運転の抑制策として、皆が強調していたのは「厳罰化」です。

一生運転免許を与えないとか、好き勝手なことを言っていますが、しかし「厳罰」を可能にするには間違いない事実認定が必須となります。

 

ドライブレコーダーとやらが急速に普及していますので、それを証拠として採用することができればかなりの情報量にはなるでしょうが、まだまだ無い場合も多いでしょうし、たとえ録画があったとしても、見えているものだけで本当に真実が判るかどうか、難しいものでしょう。

 

多くの物証を残すような交通事故の場合でも、事実認定が間違うということもよくあることのようです。

ましてや、猛スピードで走り回る車同士のトラブルが、きちんと認識できるかどうか、かなり怪しいものでしょう。

 

また、極端なあおり運転の事例ばかりがニュースになるために、そればかりが起こるように見えますが、実際は何らかのトラブルの元になるような運転があることが多いでしょう。

「あおり運転の被害者」の言い分だけを聞いていれば、「問題ないような運転をしていたのに、いきなり煽られた」と言うでしょうが、これが実際は相当問題のある運転だという場合もあるのではないかという疑いを持ちます。

 

私の住む熊本県南部のド田舎町は、どこで免許を取ったのか分からないようなとんでもない運転をする、特に高齢ドライバーがいたる所に走っています。

この前も、片側2車線の道路を走っていたところ、斜め前からこちらの目前に車線変更してくる(おそらくジジイの)車がありました。

あやうく急ブレーキで衝突回避ですが、走っている車の場合は相手に注意したくてもその手段はほとんどありません。

これを、無理にその車の前に出て止めて注意したとしたら、私も「あおり運転」になるんでしょうね。

まあ、注意もあきらめてそのまま走りましたが、どうせまたそのジジイは同じような運転をするでしょう。

 

トラブルの片方だけの言い分を聞いていたのでは、思わぬ間違いをすることもあると思います。