「メイド喫茶」なるものが、とある場所では流行っているようで、黒いドレスに白いエプロンを着け、白い帽子をかぶった女性が出没するようです。
このスタイルのメイドなるものは、実は100年ちょっと前にイギリスで活躍していました。
他人の家の家事を行なう使用人というものは、イギリスでも中世には男性がほとんどでした。
しかし、徐々に女性に入れ替わっていき、19世紀にはほとんどが女性となってしまったそうです。
また、メイドを雇う「ご主人様」も、中世には貴族や地主といった上流階級だけだったのですが、これも産業革命で中流階級が増えてくると彼らもメイドを雇おうという意欲を見せるようになります。
この本では、19世紀から20世紀にかけて、イギリス(といってもイングランドとウェールズ)で合計130万人に達したという、一般家庭の屋内の家事労働に従事していたメイドと呼ばれる女性たちの日常生活について、様々な角度から描いています。
イギリスでは強い階級社会制度が維持されているということは有名ですが、19世紀には上流階級、労働者階級の他に中間的な中流階級と呼ばれる人々も増加しました。
メイドの雇い主は上流階級と中流階級、メイドになる女性たちは労働者階級の出身でした。
本当の上流階級では、一軒に数十人から数百人のメイドと男性使用人が働いており、細かく仕事を分けてそれぞれ専門のメイドを働かせていました。
キッチンではコックの指揮のもと、キッチンメイド、スカラリーメイドが。
掃除などはハウスキーパーがハウスメイドを使い、その他酪農室ではデイリーメイド、洗濯室ではランドリーメイドが働いていました。
しかし、中流階級ではひどいところでは一軒に一人だけのメイドを雇うというところもあり、そんな場所ではすべての仕事を担当しなければならなかったそうです。
メイドの制服というのも、あるイメージができているようですが、あのような黒と白のドレスは「午後用ドレス」であったようです。
多くは黒が主流だったのですが、家の好みによっては濃いグレーやブルーを採用されていました。
素材はウールや夏はコットン。エプロンにはフリルやレースが使われ華やかなものでした。
ただし、「午前のドレス」はこれとは違い、ピンクや模様の入ったプリント生地のものであったようです。
メイドたちにはこれはあまり評判がよくなかったとか。
なお、メイドのドレスも上流家庭ではお揃いのものを支給する場合もありましたが、中流家庭では自前ということが多かったようで、その負担も厳しかったそうです。
メイドでも下働きの女性たちは若いうちに結婚相手を見つけて辞めていって回転しましたが、専門職の使用人たちは独身のまま年を取るまで務める場合もあったようです。
下働きのメイドたちが男友達を連れ込んだり、抜け出して密会したりという事件もよくあったようです。
あんなに多くの女性がメイドとして活躍していたのが嘘のように、第2次大戦の頃にはごく上流の家庭以外ではメイドなる存在は無くなっていきました。
今では日本の「メイド喫茶」だけなのでしょうか。