爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「分類思考の世界」三中信宏著

ここで言う「分類」とは生物種の分類のことを指します。

 

私もかつての会社勤め時代の研究所在籍時には、微生物の分類同定ということをやっていたということがあり、生物の種の分類というものがどういう状況になっているかということには興味があるのでこの本を読んでみました。

 

しかし、そのような私でもこの本の内容は非常に難しいものでした。

まず、「生物種」というものは何か、それは一群をなしているものかどうか、生物種というものは生物進化の過程で変わっていくものなのか、変わったとしたらどこまでが群か等々、哲学的な表現が次々と連続して出現し、すっかり頭が混乱してしまいました。

 

生物の近代の分類学ギリシャローマ時代にも分類学はありました)の父と呼ばれるのは、18世紀スウェーデンの植物学者、カール・フォン・リンネです。

リンネの定めた生物の群分けはいまだに基本的には踏襲されており、学名の命名法もリンネの定めた方法によっています。

 

分類学者はまた「博物学者」とも呼ばれました。かつては新発見の植物や動物を蒐集し、分類するということで、多くの人材を集めていたのですが、最近では分類学ということを目指す科学者は極めて稀になりました。

かつて、1990年代に著者は日本学術会議の下部委員会で分類学に関係する研究者のリストを作ったことがあるそうですが、その時点ですでにほとんど存在せず、分類学者自体が「絶滅危惧種」であったそうです。

 

 

生物を分類していこうという、分類学でもっとも大きな問題は、対象物のグループが何を表しているかという疑問だそうです。

アメリカの進化学者エルンスト・マイアは1942年に出版した本の中で、「生物進化の基本単位は生殖的に隔離された生物集団」であると定義しました。

すなわち、有性生殖によって血縁的に結びついた一群が生物学的種であるということです。

 

しかし、この定義に対して無数の反論が続出しました。当然ながら無性生殖をする生物にはこの定義は役立たず、そういった多数の生物はどうするかということも触れていません。

そのため、無性生殖生物を研究対象とする研究者たちは別の種概念を提唱することになります。

現在まで20以上の種概念が知られているそうです。

 

しかし、ここでも本質を問い直す議論がまた姿を表します。「種というものは本当にあるのだろうか」

 

生物というものはどんどん変化していきます。「私」という生物すら、昨日の私と今日の私は同一ではありません。ましてや、「私」と「私の子」は同一の生物ではありません。ただし、普通にはそれは「同種」ではあると認識されます。

本当にそうでしょうか。生殖と発生の過程では常に変異がつきものです。だからこそ進化もするのですが、変異しても同種と言えるのでしょうか。

 

しかし、「進化するものが種である」という説も紹介されます。

ここまで行くと頭がついていきません。

 

本書の議論はさらに続いていきますが、どうもさらに深みにはまるばかりのようです。

 

分類思考の世界 (講談社現代新書)

分類思考の世界 (講談社現代新書)