爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「琉球独立宣言」松島泰勝著

度重なるアメリカ軍人による犯罪発生や、基地建設問題など、沖縄においての問題が起きるたびに「なぜ沖縄は独立を目指さないのだろう」と不思議に思っていたのですが、やはりその動きがあるようです。

 

著者の松島さんは「琉球民族独立総合研究学会」の設立メンバーにして共同代表ということです。

この本は琉球が実際に独立に向かっていく場合、その国際法上の根拠や実際の各国間の戦略、思惑の方向性、独立した際の経済政策等々、非常に細部にまで行き届いた点を論証しています。

 

琉球独立の運動がどのような情勢であるのかまったく知りませんが、この著者がおそらく理論的指導者の立場に近いのではないかと思わせるものがあります。

 

なお、本書には沖縄をめぐり歴史的経緯も含めて日本政府、アメリカ政府・軍等々の非常に悪辣で卑怯な政策の数々が描写されており、日本人の方には読まれた場合相当な嫌悪感、罪悪感などを感じる可能性もありますのでご注意ください。

私はもう何も改めて感じることはありませんが。

 

それと、本書では「沖縄」ではなく「琉球」という表記を基本にされています。

まえがきにも、琉球という名前がかつて一つの国であった頃を想起させ、文化圏としての地域を思わせるものであるために、それを使うとあります。

ただし、奄美諸島琉球文化圏ではあるものの1609年という早い時期から島津藩の直轄領とされていたため、ここで言う琉球独立には含めないということです。

 

それでは、いささか気が重いものですが本書内容の紹介をしましょう。

(もちろん、「気が重い」のは琉球独立の趣旨ではなく、日本政府などの行為です)

 

 まず、なぜ独立を目指すことになったのかということですが、やはり最大の要因はアメリカ軍基地の存在が非常に大きな負担となっていることです。

そして、中国などの脅威増大という口実でさらに多くの島に自衛隊配備が増強されています。

こういった戦争への道はあくまでも日本政府が求めているものであり、琉球は決して求めるものではありません。

しかし、その立場を主張しても通るような日本政府であるはずもなく、そのためには独立しか無いということです。

 

もし、琉球の独立が実現すれば日本の自衛隊駐留はもちろん、アメリカ軍基地も取り払われるわけですが、そうなると中国が侵略してくるということを挙げて琉球独立論を批判する人たちが居ます。

尖閣諸島周辺に中国軍の船舶や飛行機が頻繁に出没するのをその根拠としていますが、これらの動きはアメリカ軍と自衛隊が沖縄に駐留し中国に対しているからに過ぎず、これが無くなったとしたらあえて琉球を侵略する意味もありません。

かえって、琉球が日本と中国の仲立ちをすることで緊張緩和の役割も果たすことができます。

 

 

琉球独立といっても、そもそも日本と琉球は同祖であり同一民族ではないかという意見もあります。

明治初年にそれまでは島津藩の事実上の支配の下にあったとは言え、独立国として琉球王国であったものが明治政府の武力による日本への組み込み(琉球処分)が行われました。(これすらあいまいにしようとする勢力があることにも驚きますが)

その頃から琉球と日本が同祖であるという議論が数々の文化人や研究者によって発表されています。

そして、政府の沖縄支配の方向も日本への同化を押し付けるという、正に朝鮮や台湾で取られた施策の先行実施でした。つまり、琉球を完全に植民地と化した政策だったわけです。

 

スコットランドでイギリスからの分離独立を求める住民投票が実施され否決されたという出来事は大きな関心を集めました。

スペインのカタルーニャも独立を求め住民投票を実施し、こちらは賛成が多数を占めたもののスペイン政府が投票を違憲とし否定しました。

琉球の事情はこれらとどこが違うのでしょうか。

 

 

琉球独立ということを本当に進めるべきかどうか、それは琉球に住む人達が皆「琉球人としてのアイデンティティー」を持っているかどうかにかかってきます。

1879年の日本への編入以来、日本政府は常に琉球の日本同化を強制してきました。しかしそれによって矯正された人々も居るものの、そうではない人たちも多数存在します。

教育や振興開発事業など、さまざまな手段を使っていますが、それが完全には成功しない現実は、やはり琉球が日本とは違うという意識があるからでしょう。

これは、琉球人の側の心理であるだけでなく、実は日本人の方にも根強くあるものです。

沖縄に米軍基地の大半を押し付け、そのごく一部を本土に移転しようとした鳩山元首相はそれに対する本土側の反応に落胆しました。沖縄の負担軽減など本土の誰もが何も考えようとしなかったのです。

 

その一方、琉球独立を持ち出すと「それは内乱罪にあたる」といった批判をする勢力もあります。

しかし、内乱罪は「暴動を起こす」ことが対象となっています。

平和的に独立を議論することが「暴動」でないことは当然であり、もちろん内乱罪など何の関係もありません。

 内乱罪外患誘致罪などという重大犯罪を持ち出すことで独立論を牽制しようという、いかにも低劣な論議です。

 

1997年に上原康助衆議院議員(当時)が琉球の独立という問題について政府の見解を国会で質問しました。

それに対する政府答弁は、「憲法に分離独立の規定が設けられていないから適法ではない」というものです。

しかし、これはまったく支配者側論理に過ぎず、また国際法に照らしても国連憲章国際人権規約の規定から民族としての当然の権利であることは明らかです。

 

さらに、日本政府は現在でも「琉球国」の存在自体を完全には認めないという態度を取っています。

これは、琉球国を武力で併合したという、明らかな国際法違反を覆い隠すための姑息な姿勢を示しています。

しかし1879年の琉球処分以前に、琉球王国は独立国としてアメリカ、フランス、オランダと修好条約を結びました。諸国が琉球国を国として認めていたということです。

この条約原本を明治政府は琉球王府より奪ってしまいましたが、各国にはその原本が残っています。それを日本政府はどうするつもりでしょうか。

 

 

太平洋戦争末期に、本土防衛のための捨て石として沖縄は米軍の上陸を受け多数の住民が犠牲になりました。

その後、引き続きアメリカ軍が駐留し軍政が引かれたのですが、そこでは殺人や女性のレイプ、住民の財産の強奪などといったことが頻繁に行われました。

その中で、日本復帰運動が繰り広げられました。

そこでは、沖縄は日本の一部であり日本に戻るという理念が語られました。

 

しかし、それが現実となったらその現実は希望とはまったく異なっていました。

米軍基地はまったく減らず、さらに返還された土地には自衛隊が来ました。

結局、軍政当時の米軍占領状態は今でも続いています。

 

 

琉球独立がもしも実現したとしても、現在のような日本政府からの補助金が無くなり、さらにアメリカ軍基地がなくなって基地収入も無くなれば琉球経済は成り立たないのではないかという危惧もあります。

日本政府からの沖縄振興予算というものは、ピークは1994年の3524億円でした。

しかし、その振興予算の9割は公共工事に使われており、その半分は日本の大手建設会社が受注しています。

また、米軍基地の建設工事も保証金100億を準備できる会社しか受注できず、実質的には日本の大手会社が受注しています。

結局、振興予算などといっても沖縄を舞台に日本の会社が利益を得るだけの構造であり、典型的な植民地経済です。無くなったからと言って琉球は困りません。

さらに、現在の県民総所得に占める米軍関係の受取金額(基地経済)は5%にまで低下しています。ごく一部の地権者や労働者は影響を受けますが他の産業が興れば吸収可能です。

 

琉球の目指すものは、アジアの経済センターとなることです。それには非武装中立を守りアジア各国と友好関係を結ぶことができる立場が有利に働くでしょう。

 

 

しかし、琉球独立で現在すぐに住民投票を行っても、まだ過半数を取れる状況にはなっていません。

2005年に実施された意識調査の結果では、独立賛成は25%に過ぎませんでした。

独立に反対する意見の人々の中で、「自立能力の不備」を挙げた人は28%でした。

これは、経済的自立の見通しが立てば独立賛成に回る可能性があるということです。

また、これまでの長い間の日本の同化政策の影響や、米軍軍政時に日本復帰運動で日本人意識が高まった事情もあるのでしょう。

琉球内で人々の意識を高め、さらに経済自立の道を確実なものとするとともに、日本本土でも賛同する人々を増やす運動を進める必要があります。

 

 

 

現在でも日本政府が「琉球国の存在」自体をうやむやにしようとする態度を取っているということはまったく知りませんでした。いかにも日本政府らしい姑息な姿勢ですが、あまりの卑劣な態度に怒る気もでないほどです。

琉球処分というものをもう一度考え直してみる必要があるようです。