このところNHKスペシャルの番組制作の記録として作られた本を何冊か読みましたが、なかなか優れた内容であったと感じます。
こういったものばかりを見せられれば受信料を払っても良いかと思いますが、しかしこの取材に掛けられた費用などその中では微々たるものでしょう。
1960年代にアメリカとの間で交渉が重ねられ、沖縄が返還されたわけですが、そこには「密約」があったという疑惑がありました。
アメリカ政府からも少しずつその証拠となる事例が出てくるようになっても、日本政府は決してその存在を認めようとはしなかったのですが、この本はその密約に深く関わった、佐藤首相の「密使」若泉敬氏について取材したものです。
戦後長くアメリカの統治下にあった沖縄を返還するという機運になり、その条件を交渉したのですが、沖縄の米軍基地に核兵器が装備されていたのは当然の事でした。
しかし、非核三原則を掲げた日本としては、沖縄が返還される場合には米軍基地は存在を許すとしても核兵器の保有は認めるわけには行きません。
そこで、返還時に核兵器を撤去することは認める代わりに、基地の自由使用と非常時の核兵器再持ち込みを認めるということを密約として決めたというものです。
この交渉は、表ルートの外務省が行うわけにはいきませんでした。
そのために使われたのが、佐藤栄作首相が政府以外のところから連れてきて極秘の任務を与えた、京都産業大学教授で国際政治学者の若泉敬でした。
若泉はそれ以前から世界各国との要人とのパイプも持ち、アメリカの政府中枢とも連絡を取り合える存在でした。
外務省の表ルートが表面的な交渉条件、核兵器の撤去と当時問題視されていた繊維製品貿易問題などの話をしている間に、若泉は結局はヘンリー・キッシンジャーまで話を通して密約条件を交渉します。
しかし、この密約は決して表に出ることはなく、若泉自身も郷里の福井に隠棲同様の生活をしたために、その名も知られることもないままでした。
ところが、1990年代になって若泉はこの密約交渉の経緯を本として出版します。
「他策なかりしを信ぜむと欲す」という、蹇々録から取られた言葉をタイトルとしたこの本は、1994年に発売されました。
この出版にあたり、若泉は国会に証人喚問か参考人招致されることも覚悟していました。
しかし、本人のそういった思いとは裏腹に、世間はこの本をほとんど黙殺。
政府も密約などはなかったという見解を変えることなく、無視しました。
その2年後、若泉はガンの症状が悪化はしたものの、実際は服毒自殺をします。
その若泉の思いというものはどういうものだったのか、それをNHKスペシャルの取材班は若泉の知人などを訪ねて再構成しようとします。
しかし、上述の著作出版の際に若泉はメモや書簡、記録などトラック一杯の資料をすべて焼却してしまいます。
そのため、取材班の調査もかなり難航したものでした。
それらの事実の詳述は避けますが、若泉の思いの中で一番強かったのは、沖縄の人々への後悔だったようです。
密使として困難な交渉に当たり、それが沖縄の負担軽減になると信じていたものの、結局は基地負担は減らないままでした。
本人が残した数少ない記録に、米兵による少女強姦事件の切り抜きがあったそうです。
そういった状況への後悔が、著書での密約交渉の暴露、そして自殺につながったということです。
沖縄返還密約というと、西山事件ばかりが有名ですが、こういった交渉に関わる知られない話というのもあったのだというのが驚きでした。
大きな世界の動きの中での個人の働きは小さいようで大きいのかもしれません。