爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「上野彦馬歴史写真集成」馬場章編

上野彦馬とは幕末から明治中期にかけて活躍した写真家で、写真術そのものの日本での発展の中心にいた人物です。写真の技法と言うものもまだ一つに定まらない中でさまざまなものを取り入れながら写真術を確実なものとしていきました。
その写真館も長崎の他にも一時はアジア各地にも支店を設けるほどで、多数の撮影希望者で溢れていたようです。日本人ばかりではなく訪れた外国人も相当多数に上っていたようです。
写真はもちろんモノクロですが、それにあとから絵具で彩色したカラー写真も優れたもので、外国人が争って買い求めていったそうです。
その名は知らなくても、彦馬の撮影した高杉晋作坂本龍馬の写真は誰でも必ず見たことがあるものでしょう。ほかにも幕末から明治にかけての政財界著名人の写真も多く残されています。

しかし、不思議なことに彦馬の撮影した写真を集めた本格的な写真集と言うものが今までにはなかったということです。そこで、歴史写真研究者である編者が彦馬の弟の子孫で彦馬研究の第一人者である上野一郎氏などの協力を得て代表的な写真を集め刊行することとなったそうです。

時代順に写真を並べていますが、やはりその最初の幕末の著名人の写真は目を引くものでしょう。後藤象二郎坂本龍馬高杉晋作桂小五郎と有名な人々の有名な写真が並んでいます。しかし、それと同列に無名の床屋、女性などの写真も並んでいますが、自然な表情で写されており、写真撮影の技術の確かさを見ることができます。
また軍隊や塾の集合写真というものも何枚も撮られており、そこに誰が写っているかと言う点も興味深いものです。
長崎が中心ですが、風景写真も数多く残されており、無数の船の浮かぶ長崎港の写真や、洋館の写真など歴史を考える上での貴重な資料ともなるものが多いようです。

大村候令嬢写真と言うものもあり、大村藩の大名令嬢と思われますが、庶民とは違った風貌にも興味を引かれます。

晩年に近い作品には、ロシアの皇太子ニコライ二世が来日した際の写真も残されています。大津事件で警備の巡査に狙撃される数日前の写真だったようです。その後ロシア革命で家族そろって革命軍に虐殺される皇帝ですが、凛々しくさわやかな風貌であったことが写真から分かります。

本書の中にも載せられている「フルベッキと塾生たち」という写真には、その撮影時期とメンバーについて俗説もはびこっており、それを正す一文が書かれています。フルベッキは長崎で英語塾を開いていた宣教師であり、その門下にはその後有名になった人々も多いのですが、この写真は慶応元年に撮影され、その中には坂本龍馬などその後活躍した有名人が写っているという説が出されたということです。
しかし、フルベッキ自身が語ったと言われる資料があり、それによれば明治元年にフルベッキが東京に移る前に門下とともに写したもので、さほど有名な門下はいなかったようです。ただし、岩倉具視の二人の息子は入っていたということです。

上野彦馬の長崎の写真館はまったく残っておらず、その機器・道具類もほとんど失われてしまいました。しかし、彦馬の門下生である富重利平が故郷の熊本に帰り開いた富重写真館はまだ現存しています。これは熊本では有名な話で、営業も続けておられるのですが、そこにかつての彦馬写真館のものも残されているということが紹介されています。

数多くの著名人の写真もさることながら、彦馬本人の肖像、また妻との写真、息子や娘たちなど家族の写真も多く残されています。写真という文化を形作っていった功績とともに、家族思いの人柄までしのばせます。