爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「教養としての 写真全史」鳥原学著

2018年に世界で撮影された写真はおよそ1.6兆枚になるそうです。

もちろんこれはスマホが全世界的に普及しそれを使って撮られたということが大きいのでしょう。

まあ撮影はされても二度と見られることがないものがほとんどかと思いますが。

 

写真というものは様々な意味を持ちながら誕生し発展してきました。

そのような写真全史というものを、写真を学ぶ大学生や専門学校生のための講義の資料として書かれたものが本書ですので、かなり専門的な内容を含んでいます。

 

その誕生から発展という歴史についても漏れなく描かれていますが、写真を報道のために使ったり、芸術として扱かったり、そのような側面からの説明もされており、写真というものの全体像をとらえることができるようになっています。

 

写真の初期の頃には肖像写真というものの存在意味が非常に大きかったということがありました。

それまでの肖像画に代わりかなり手頃にはなりました。

しかしスナップショットという目的に進みだした写真は社会的な意味もそこに含むようになっていきます。

 

もちろんフォト・ジャーナリズムという面での発展も大きな存在となりました。

その時期には大きな戦争も繰り返されましたが、そこでの撮影とその写真の紹介が戦争というものを知らしめることにもなります。

また広告写真というものへの進出も忘れることはできません。

イラストでは満足できなくなった人々にとって写真を使った広告は鮮やかにアピールしました。

 

芸術と写真、ファッションと写真などなど、何かと写真と並べても多くの物語が語られます。

ヌード写真というものも決して無視できない重要な位置を占めました。

またネイチャー・フォト、自然を写真に収めることでその意味を示すということも行なわれてきました。

 

19世紀に最初の写真がフランスで公表されると、写真館というものが次々と開業しました。

しかしそこで撮影された人びとの写真というものは、それまで自分の顔というものを客観的に見ることのなかった人々にとっては混乱させるものでした。

そこで写真家たちが取った方法が「修正」だったそうです。

 

最近では戦争の写真を撮るということは自由にはできないようになってきていますが、かつてはそれが放任されてきたことがあり、特にベトナム戦争では従軍取材がほぼ自由に認められた唯一の事例だったようです。

通信社や雑誌のカメラマンだけでなくフリーのカメラマンも多数がベトナムに渡りました。

その中には取材中に命を落とした者も数多かったのですが、その撮影写真は戦争の実態を細部まで記録し、公開されました。

 

現在のように誰もがどんどん写真を撮る時代というものが何を意味するのか、それも難しい問題のようですが、写真の全史というものを見ていくと様々な意味を含みながら発展してきたということのようです。