爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

高崎山の子ザルの命名騒動

大分の高崎山で生まれた雌の子ザルを「シャーロット」と名づけようとしたら、一部の日本人から「英国王室に不敬になる」というクレームが出たそうです。
関係者が英国領事館や大使館に問い合わせたそうですが、問題ないだろうということで、英国王室も「ご自由に」という反応だったとか。
おそらく、イギリス側は日本側から何を聞かれているのか、また何を問題視されているのかピンと来なかったのではないでしょうか。

名前に関するこういった反応は極めて日本人らしいもので、おそらく日本以外では韓国や一部の中国人だけかもしれません。
最近の日本での子供の名づけというものは、非常におかしな状況になっており、当て字や変な読み方の横行、従来にはなかったような奇怪な命名が溢れていますが、これらの名づけの行為の親の心理には「子供に独自の名前をつけたい(できれば世界で一つだけの)」というものがあるようです。特に友人や近親者といった間で子供に同じ名前が付けられたりすると大騒ぎということになるようです。
しかし、そのような独自の名前があるはずもなく、(相当変なものなら別ですが)その結果として同年代の子供には同じような名前がずらっと並ぶということになっています。それも奇怪と言える状況です。まあ現在の中高年世代の名前もその前の時代からすれば変わった名前ばかりなのでしょうが。

キリスト教イスラム教ユダヤ教の世界では聖人や天使などの名前にちなんだ名づけがされることが多く、1000年、2000年前とまったく同じと言う名前が付けられています。また、近親の間で同一の名前という例も多く、今回の王女でもシャーロット、エリザベス、ダイアナ等すべて近い血縁者に同一の名前が見られ、それを意識して付けられているのは間違いありません。

世界でも名づけの傾向が変わっていくところもあるようですが、まだ日本の「他人と同じ名前は付けたくない」というのは珍しい風潮でしょう。これには相も変わらず「言霊」(ことだま)信仰が関わっているようです。
本名を呼ばれるとそれだけで命運を握られると考え、昔の人は実名を明かさずに呼び名を別に付けました。そのような雰囲気の社会では確かに他人と同じ名前では都合の悪いこともあったのでしょう。
しかし、それから長い時を経た(おそらく1000年以上)今になってもその呪術に左右されているというのも情けないことのように思います。
なお、現在は知りませんがかつての中国は日本よりもっとひどい事もあったようで、皇帝の実名と同じ文字は使えないということになり、多くの人に改名をさせたり、さらに地名すら変えてしまうということも起こりました。どう考えてもはた迷惑な風習としか言えません。

世界の大多数の風習とは一口で言えば「名前など符号にすぎない」ということのようにも見えますが、聖人や預言者の名を取り、さらにその名を貰った近親者の加護というものも期待しているようにも思います。どちらが良いとも言えないことなのですが、日本流というものが風変わりなことは自覚すべきかもしれません。