爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「明日をどこまで計算できるか?予測する科学の歴史と可能性」デイヴィット・オレル著

著者はカナダ在住の数学者ということで、予測についても数学的なモデルからのアプローチということのようです。ただし、学術研究だけの人ではなくサイエンス・ライターもしているということですが、その割には?かなり読みづらい本でした。
ハードカバーで総ページ460ページと言う大部ですが、なぜか訳者も4人ということで、手分けをしたのでしょうか。

「予測」の過去・現在・未来に分け記述されているのですが、過去の部分は科学史を延々とたどられており、ここでの読みにくさが全体の印象を決めてしまったのかも知れません。その中のエピソードで面白いのは、アイザック・ニュートンの主要な興味の対象は実は錬金術などの神秘主義であり、物理学への貢献はほんの片手間仕事だったかもしれないというところでしょうか。

現在の部分では、科学的な予測というものが繰り返し試みられている割には有効な予測ができていないと思われる、気候(天気)、人間の病気、経済について詳述されています。
天気の予測は17世紀に気温や気圧の測定と記録ということが始められ、徐々に気候データが集められるようになって、予測という方向に向かっていくわけですが1854年にイギリスで初めて気象庁というものが設立されました。
そこの初代局長がフィッツロイという人物ですが、彼は以前はビーグル号の船長でダーウィンを乗せて世界一周をしたそうです。天気に関してはpredictiuon(予言・予測)という言葉を避け、forecast(予報)を使うということを始めたのも彼だったそうです。
しかし、当時はほとんど気象に関する科学は発達しておらず、予報もほとんど当たらないまま存立も危うくなっていきました。
その後、大規模な戦争の時代となり天気の予測というものは軍事的な必需情報となり力を入れられるようになりましたが、徐々に気象モデルというものを作れるようになっても計算能力が全く足らずに望むようなものはできないままだったそうです。当時の気象庁のルイス・リチャードソンという人が第1次大戦中に天気の予測計算をした際に、6時間分の計算をするのに6週間かかったそうです。十分な計算をするためには6万4千人の「コンピューター」が必要だと言ったそうですが、その場合の「コンピューター」とは計算要員という意味でした。

人間の病気の可能性については、遺伝子の中に原因が潜んでいると言うのは間違いのないところですが、それを直接個人個人について調べて病気になる可能性を予測すると言うことは現在でも実用化はされていません。ただし、それを実行したとしてもそれだけで病気が根絶されるはずもありません。遺伝的な要因とともに後天的な生活習慣などによる要因も非常に大きいためです。したがって遺伝的予測ばかりに力を注ぐ(金と手間をかける)ことが妥当とは言えません。

経済、といっても特に相場の上下を科学的に予測ということは絶えず行われています。株式チャートなどというものは現代日本でもあちこちにあふれていますが、細かい上げ下げには強くても大きな変動には有効ではないようです。
本書はその項の最初に18世紀のイギリスで発生した「南海事件」という半ば詐欺により起こったバブル事件についての記述から始めていますが、これで大金を失った一人がアイザック・ニュートンだったそうです。
正統派経済理論というものもありますが、それも金儲けを目的として投資家の資金を呼び込む人々と大差はないようです。

未来については、これらの3つの事象が絡み合って起こってくるような、温暖化、感染症などの健康被害、経済の破綻などの悲観的な予測をしなければならないのですが、これも非常に難しいようです。科学的と言って行われている温暖化予測については著者は完全に受け入れているようですが、それもどうでしょうか。
予測をするより対策をという風にも見えます。

簡単に要約をするということも困難な本でした。