爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「科学者はなぜ一番のりをめざすか」小山慶太著

最近でも、医学や遺伝子関係などで科学的な発見の発表をめぐり熾烈な競争が繰り広げられていることが話題になることもありますが、ノーベル賞クラスの発見でもそういった一番乗り争いがあったこともよく知られていることと思います。

 

しかし、昔からそうであったわけではありません。科学的な知識というものが秘伝として発表されずに身近なものだけに伝えられていた時代の方が長かったのです。

それが、早い者勝ちで競争するようになったのはようやく17世紀になってからのことでした。

その時期には科学というものの質も大きく変わったのですが、最初の発見者に至上の価値を与えるようになったという点でも革命的に変わりました。

これを著者は「科学革命」であると捉えています。

本書はその時代から現代まで400年あまりに渡る、科学者の先陣争いの歴史をたどったものです。

 

古代ギリシアで、ピタゴラスは代表的数学者として知られていますが、彼の周囲にはピタゴラス学派というべき多くの弟子が取り巻いていました。

そして、ピタゴラスなどが発見した業績はすべてその学派の共有財産と捉えられていたのです。

それは学派以外には非公開とされていました。科学的発見に対しての現代人の見方とは正反対であったと言えます。

 

また、現在では科学とは見られていませんが、中世から近代に至るまで続けられていたのが錬金術です。これに携わった人々もその成果というものを決して公開したりはしませんでした。秘伝として持っていることが力になったわけです。

 

それが徐々に変わっていったのは、ガリレオの宇宙観測にも表れています。

ガリレオは当時発明された天体望遠鏡を手にし、様々な天体を観測します。

そして太陽の黒点が太陽表面の変化によるということを発見し、本として出版しました。そこではそれの第一発見者であることを主張していました。

ガリレオはその先取権を、本の出版時より早く発見したという事実の証拠を残すことでより強く主張しています。それは、発見直後に知人に対してその事実を手紙で知らせたということで証明しようとしています。

ただし、その手紙は暗号で書かれているという、この点は前時代的な方法によっていました。

 

古典的力学を確立したというニュートンも、その重力説についてはイギリスの科学者フックとの間で先取権争いをしています。

どちらが先に発見したかということを言い争うのですが、互いに相手を盗作者呼ばわりをするという激しいものです。

さらに、数学の微積分法についてはニュートンはドイツの数学者ライプニッツとの間にも先取権争いをしています。

 

このような揉め事が頻発したため、イギリスでは1662年に設立された王立協会が中心となって、科学者からの報告をまとめて「哲学会報」として出版することとなりました。

それまでの個人間の手紙と言う手段よりはるかに公平で正確な判断ができるようになりました。

ここでは、それまでのように自分がいつそれを発見したかという確証の得られない日時に替えて、手紙が王立協会に届いた日付で判断するというルールが確立しました。

 

その後、各国に同様の出版物ができてくると、あまり人目につかないような出版物に重要な科学的発見が発表されて、話題にならずに忘れ去られるという事態も起きてきます。

イタリアの化学者アヴォガドロの、相対的質量の発見、いわゆる「アヴォガドロの法則」もそういった忘れかけられた論文でした。

熱力学の基礎を発表したフランスのカルノーの論文も、彼の死後に再発見されました。

遺伝のメンデルも同様でした。

しかし、彼らの名前が復活したのも論文の出版という事実が残ったからこそでした。

 

科学者たちの熾烈な競争のエピソードを見ていくと、勝者の名声とともに敗者がほとんど何も得られなかったことも分かります。だからこその競争だったのでしょう。

 

 この本の原版は1990年の発売ですが、その当時には全く見られなかった、サイエンスやネイチャーなど科学雑誌の電子版も今では普通になってしまいました。

そこでの先陣争いはさらに激しいのですが、一方では間違った結果の早まった発表と言う問題も頻発しているようです。

この先どうなるのでしょう。