爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

交通事故の原因について

「事故の心理学」についての本を読み書評を書きました。事故と言っても道路交通事故はその数も多大におよび、また年間数千人の人が亡くなっています。鉄道や航空機事故、工場の災害などが起こるとマスコミで大きく報道され、その原因などにもしも過失があれば追求も激しいものですが、飲酒運転や過労運転など以外の自動車交通事故についてはあまりにも慣れすぎているのかぐしゃぐしゃになった車体は報道されてもその原因などについてはあまり取り上げられることもないようです。

私は数年前までの会社勤めの大半は工場勤務で、管理職も務めたため労災事故については厳しい管理を自らもしていましたし、指導もしてきました。工場の労災事故については「エピソード安全衛生史」という本を以前に読み、色々と考えさせられることもありました。この本はいずれ再読し書評を書きたいと思っています。
工場の労災事故は明治大正の時代の厳しさは言うに及ばず、昭和30年代までは多発しており犠牲者も多かったのですが、労働安全運動の高まりとともにその発生数も犠牲者も激減しています。工場でもKYT(危険予知活動)やヒヤリハット抽出活動などという労災予防活動を日常やっていたのも思い出にあります。

そのような目で交通状況を見ていると怖ろしいまでの無頓着な状況に見えます。
現在は車で出かけるのは時々で、もっぱら散歩で歩いているのですが、通行している車の運転状況は相変わらずのもので、よく事故にならないものだと思います。通勤通学程度に車を運転している人でも事故を目撃したり、事故寸前の状況と言うのはたびたび見かけるのではないでしょうか。

運転者の意識というのはそのようにまだまだ低いものですが、「事故の心理」著者の吉田先生が指摘していたように、運転者意識だけではない交通事故要因というのはたくさんあり、当然ながら道路の構造・設備・管理状況というのも大きな原因と考えられますが、警察による交通事故原因の調査ではそれが指摘されることはないでしょう。これを問題とするのは警察の役割ではなく(できないでしょう)地方議会から提起して自治体にやらせるしかない問題です。
しかし、市議会議員などの議会質問状況を見ても、渋滞の緩和策を質問する議員はあっても交通事故多発の原因となる道路構造を問題とする人はあまり見られないようです。

我が家の近くにも通行量がかなり多い交差点にも関わらず昔どおりに赤色点滅信号があるだけで、なかなか出られない車が無理やり発進するという交差点もあり、また近くに大きな道ができたために車の通行量が大きく変化したにも関わらず、交差点での一旦停止が昔のままになっているために、通行量の多くなった側が依然として一旦停止になっていて、ほとんど通行しない方が優先道路というところがありますが、現状追認の状況でほとんど一旦停止標識は守られていません。
素人が見ても危険と分かるような場所が他にもあちこちに存在しており、簡単に対処できるように見えるところもありますが、KYT(危険を予知して事故が起きる前に対処する)という思考方法は工場以外では通用しないようです。
交通事故に関しては相変わらず、「何人か死ななければ対策されない」状況が続くようです。