爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「犯罪不安社会 だれもが”不審者”?」浜井浩一、芹沢一也著

共著者の一人の浜井さんは現在は龍谷大学の教授ということですが、法務省に勤めていた当時は刑務所や保護観察所の勤務も経験され、現実の受刑者にも接する機会が多く、そういったところから現在の「治安悪化」恐怖症ともいうべき風潮がおかしいということを提言されています。
犯罪統計などを見ても凶悪犯罪は無くなったとは言えないものの数はどんどん減っており、治安悪化という雰囲気だけが先行して対策ばかりが過剰に言われかねない風潮には他にも警鐘を鳴らしている人の本も読んだことがありますが、そういった動きは何を目指して誰を利するのかよくよく考えなければいけないのかも知れません。

本書の冒頭で、犯罪件数の増加という一見したところ明らかなような統計数字であっても、その意味するところを慎重に解析すれば違うということが語られます。
犯罪数というのはあくまでも警察の「認知件数」であるということで、これはどれだけ「認知するか」という警察の姿勢次第で簡単に動かせるものだそうです。
1999年に「桶川ストーカー殺人事件」という事件が起きました。警察に何度も相談したものの結局ストーカーに殺されてしまったということで、警察に対する批判が非常に強まったのですが、これを機に警察の方針が転換したというように著者は指摘しています。数々の通達が出され、市民からの防犯相談に対して対応強化という方針がつよく打ち出されることになりました。
他にも様々な事件があり、警察への相談と犯罪通報が激増したというのが犯罪件数増加という現象のからくりだったようです。

またそれに合わせるかのように検挙率も急激に低下しました。これも認知件数の増加ということから自動的に起こったようにも見えますが、実はそれ以外にも要素があり「事後処理に追われ余罪追求がおろそかになった」という事態が大きく影響しているそうです。窃盗などの「職業的」犯罪は余罪が非常に多いというのが当然のことなのですが、そのような犯罪者を逮捕しても余罪の追及が十分にできなければ犯罪の認知件数の中で解決件数というのがどうしても少なくなるようです。窃盗犯などは数百件の余罪があるものも居るでしょうが、そのうち数件だけを自供して終わってしまえば当然のことながら解決率はひどく低下するでしょう。

また性犯罪も1996年を機に捜査方針がまったく変わったそうです。急に性犯罪自体が増えるわけもありませんので、実態というのはそこから来たものなんでしょう。

このように、警察発表の数字はどうしてもその捜査方針に大きく影響されたものしか出てきませんが、もう少し客観的な数字ということで本書の著者が着目したのが人口動態調査の中の「他殺」という項目です。これを見れば1984年当時の数字から見てどの年代でも半減以下となっており、凶悪犯罪増加とか、子供が危ないといった掛け声とは異なる様相が見えてくるようです。

また報道でよく言われている「非行の低年齢化」「凶悪犯罪の低年齢化」といった問題も実はほとんど実態とはかけ離れているようです。非行少年率というのはどの年齢でも低下し続けていますが、実は問題となるのはそのような「非行」という少年の犯罪と見なされるようなものに19歳以上の大人の「非行少年」が増えているということのようです。新聞などでの非行少年の事件の報道でも「中学生ら」という表記があってもその中味では中高生とその先輩の大人が犯罪を起こしているという例が多くなったそうです。これは欧米諸国の傾向と同じで、非行の高齢化という現象が起こってきているようです。

犯罪に対する意識でも、一般に犯罪が増え治安が悪化しているというイメージが強くなっているようですが、そのアンケートを詳しく見てみると「自分の周囲で治安はそれほど悪化していないようだが日本のどこかでは悪化している」と答える人が多いそうです。これは犯罪報道を絶え間なく流すマスコミの影響で、凶悪犯罪が増加しているというイメージを持たされているということが現れているようです。
このように現実の犯罪発生とは関わり無く、特異な事件の報道をきっかけに犯罪不安が急激に高まることを「モラル・パニック」と呼ぶそうです。そしてその事件が加害者の特異な事例ではなく社会の歪みの表れと見なすような論調が1980年代には連続幼女誘拐殺人事件や女子高生コンクリート殺人事件などを機に広まりました。
しかし、90年代以降は犯罪被害者についての報道という傾向が強まり、それまでの社会の責任というものを追求する風潮から、被害者や遺族重視に変わり加害者は絶対に許せないという状況に変わってきました。加害者に対する厳罰主義が極めて大きくなってきたようです。
かつてあったような加害者も社会の歪みを映したものだというような見方は影を潜め、異質なものは監視し排除するというような風潮が強くなってきてしまいました。

治安回復の鍵は地域コミュニティの連帯の復活であるという動きです。しかし、そこにあるのはそこに住むすべての人をコミュニティの一員として認めるのではなく異質なものはすべてはじき出すという傾向でしかありません。
そこでは「こどもの安全」というものが最上のものとして語られ、それを守るためには障害者、外国人、犯罪経験者など少しでも疑惑をもたれるような人は排除するという動きになります。
著者は刑務所勤務という経験の中で、治安悪化と言われている今、受刑者がどうなっているかを見てきました。そこには凶暴な犯罪者が溢れるというような刑務所風景とはまったく異なる状況があったそうです。現在の刑務所に溢れているのは刑務所の作業にも加わることができないような老人や病弱者、言葉も判らない外国人などです。外の社会にはもはや加わることが許されない人々が最後の居場所として刑務所に来るそうです。
刑務所は「治安の最後の砦」だと言われてきましたが、その実態は「福祉の最後の砦」だそうです。介護施設や老人ホームでは退去を求められることがしばしばですが、刑務所からは「退去」させられることはありません。所内で亡くなったら職員の人が葬式をし墓参りもしてくれるそうです。

現代の不安社会というものがどのようなものか、なかなか興味深い視点から啓蒙してくれた本でした。