爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「日本のリアル」養老孟司著

養老さんが様々な分野で活躍されている4人と対談した内容をまとめたものです。
その4人とは、食生活に関して調査研究をされている岩村暢子さん。(この方の”普通の家族がいちばん怖い”という本は以前に興味深く読みました)不耕起の水稲栽培の岩澤信夫さん、牡蠣の養殖には山の環境整備が必要だとして植林活動などを始めた畠山重篤さん、林業を科学的に見つめなおすという鋸谷茂さんという方々です。

岩村さんは普通の家庭の食卓の写真を連続して撮影してもらうという手法で現代の家族というものを捉えるということをしている方で、メディアが伝える以上に家族の形が変質していると主張しています。
岩澤さんの「不耕起栽培」というのは、これまでの日本の農業では考えられなかった、”耕運”というものを否定し、土を掘り起こさない方がよく栽培できるというものです。これはアメリカなどの畑作ではあるようで、耕運すると表土が失われやすくなるためだと思いますが、岩澤さんの水田不耕起というのはそれとは考え方が違うようです。ただし、それとともに冬季水田湛水ということで肥料もやらなくて良いという主張も合わせてされています。これは水田でなければ不可能なことであり、物質収支の上からはそのようにしか理解できないのですが、あまりそのあたりのことを深く考えられてはいないようです。あくまでも自分で見ただけの経験則だったのでしょう。この方はもはや亡くなられています。
畠山さんは気仙沼で牡蠣養殖をされている方ですが、この前の震災の津波で破壊されましたが実はそれ以前にも海の環境が悪化して牡蠣の成育が悪かった時代があったそうです。それは川から流れ込む養分が少なくなったためだということに気付き、まだそういったことが科学的に解明される以前から山への植林を進めるということで海の環境改善を進め、それで牡蠣養殖が上手く行くようになったという経緯があったそうです。これは日本の他の河川と海の関係でも同様なのですが、それに気付かずに川にダムや堰などを作ってしまい、結果として海の漁業をも台無しにするということがあちこちで行われてしまいました。長良川河口堰の建設に対しても反対運動が行われましたが、そこでの主張がサツキマスの遡上を妨げるということだけだったということを、畠山さんは嘆きました。これだけならわずかな河川漁業者に補償金を払うだけで終わってしまいますが、堰により海に流れ込む栄養分が減ることで海の漁業に影響が出るということを主張できれば、補償対象となる漁民が桁違いに多いために国も考え直す可能性があったかもしれないということです。
鋸谷さんは福井県林業職員として勤務されましたが、林業を科学的に考えるということをされています。第二次大戦後に材木需要が急増ということで全国の山林をスギの人工林化してしまい、その影響が多く出ていますが、これもまったく科学的に考えることなく行われたために破壊的な状況になってしまったということです。
間伐が為されない人工林というものは、その下部では日が当たらず下草も生えないために表土が失われやすく、さらに環境悪化が進むそうです。思い切った間伐で下草だけでなく低木の広葉樹まで生えるような林にすることで健全な山が守られるそうですが、そういったことも理解できる人がほとんどいないためにさらに状況は悪くなっていくようです。
なお、鋸谷さんの慧眼は「日本の自然林は1000年ぶりに豊かさを取り戻した」とあることでも明らかです。人工林の状況悪化とは似たように見えてまったく異なるようです。
江戸時代から明治時代初期までは、人家に近いところの山では薪用や堆肥用として下草や樹木が収奪されたため、特に関西地方などでは山は裸に近くなってしまっていました。それがなくなったことで自然林に関しては自然な植生のまま繁茂するようになってきたようです。
このあたりの事情は気が付かないのか、故意に無視しているのか、里山礼賛の声が多く聞かれますが、実際はそのような理想的な里山というのは人口や気候の関係でごく稀な例だったのではないでしょうか。まあいくら里山復活といってもうまくいくはずはないので心配はないでしょうが。

ここに出てくる人達は、まだ比較的出版活動も多くされているのでその主張も知られていますが、他にも各地の現場で独自の活動をしている人はたくさんいるのでしょう。掘り起こす活動も必要なのではないでしょうか。