爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「”対テロ戦争”とイスラム世界」板垣雄三編

東京大学名誉教授で中東・イスラム研究の中心でもある板垣先生が多数の研究者の執筆者をまとめて現在のイスラムと”テロリズム”に関する現況をまとめたものです。
とはいっても2002年の出版なので、今ではさらに状況が変わっているわけです。

最後の章で東京外語大の黒木さんがまとめているように、”テロリズム”と言う言葉は極めて恣意的に使われており、アメリカやイスラエルなどが敵対する勢力を批判する用語として使っているのに日本はテロ対策関係法でそれらに追随して使用しています。本来は、国家テロリズムというものもありますが、それらでは国家権力に対しては使われず、反体制勢力が武力を使った場合に限って使われており、公平な使用とはいえません。イスラエルパレスチナをテロリストと呼び攻撃しているのがその例です。
また、その使用法のせいでイスラム教徒の一部勢力を指すかのごとき使われ方が一般的になってしまっていますが、イスラム教全体を指すものであるはずもなく、そのために一般イスラム教徒への迫害につながった例はその悪影響とも考えられます。

このところ、地中海世界を取り巻くキリスト教イスラム教の歴史的な関係など、いろいろと本を読んでいますが、延々と続くその抗争はうんざりとさせられます。イスラム教側が優勢であった時代から、キリスト教徒が完全に圧倒した時代に移り、そして石油と言う偶然からまたイスラム側が圧倒し、なおかつその政治体制のために一般民衆が圧迫されていると言う複雑な問題があることがこれからも大きな軋轢を産み、闘争が続くであろうことはわかります。しかし、どうすれば解決に向かうかは全く判らないのは世界の誰も同様でしょう。アラブを民主化すれば解決というものはほとんど無理だと言うことはわかりますが。

もう40年近く前になりますが、大学入学直後に一般教養の”西洋史”授業で板垣先生に教わりました。その時はなぜ西洋史で中近東の歴史を習うのか不思議に思いもしましたが、今ではその時の授業がこれまでの読書傾向を形作る一助になったのかもしれないと考えています。それにしても、ニュースなどで出てくるあちらの固有名詞の読み方が実際のものとかかなり異なると言うことがこの本を見ても感じられます。ハタミではなくハーターミー、ヒズボラではなくヒズブッラー、ナセルではなくナーセル、こういったものは必ずしも現地音にこだわる必要はないとも言えますが、尊重はすべきでしょう。これを大学の教養授業でいきなり触れたという経験も得がたいものでした。