2018年のノーベル平和賞は、「戦争兵器として用いられる性暴力の撲滅を目指す取り組み」を受賞理由として、コンゴ民主共和国のドニ・ムクウェゲ氏と、イラクの少数派ヤジディー教徒のナディア・ムラド氏に与えられました。
この本はその一人のナディア・ムラドさんが、その壮絶な経験を描いたものです。
ナディアさんは、イラク北部で暮らしていた少数派のヤジディー教徒(本書ではより現地発音に近づけて”ヤズィディ教徒”と綴られています)の一人です。
以前から周辺のイスラム教徒とは様々な軋轢があったようですが、それでもその一画に暮らしていました。
しかし、ISIS(イスラム国)がその地域に勢力を伸ばしていたことで、その生活は地獄のような境遇に陥ることになります。
ヤズィディ教とは、イラク周辺に広がる一神教の宗教で、教徒は100万人ほど居るものの周囲の絶対多数を占めるイスラム教からは邪宗とみなされてきた経緯があります。
イスラム国が周辺を制圧した時には、その地域のイスラム教徒たちは彼らに反抗しなければその生命を脅かされることはなかったものの、特にイスラム国に邪教徒とされたヤズィディ教徒たちは極めて危険な状況にさらされることになります。
ナディアの家族たちが暮らしていたイラク北部のコーチョという村にもイスラム国が来襲します。
圧倒的な武力で制圧され、男性は皆殺し、女性でも中年以上の人々は同様に殺され、若い女性のみは性奴隷として拉致、少年たちは洗脳して自爆テロ要員として使われるということになりました。
これが21世紀の地上で起きることかと思うような、凄惨な状況の描写が続きます。
その後、イスラム国の戦闘員でナディアを奴隷として買った者がわずかな隙を作ったことで、彼女は逃亡しなんとか無事に逃れたところまでが描かれています。
しかし、私にはこの本を読み始めた時から、その文字列を読みながらも本書題名にある「私を最後にするために」が頭から離れませんでした。
「私を最後にするために」何をすればよいのか。
この事件がイスラム国の特異的な性格のために起きたということならば、イスラム国を打倒しさえすれば良いのでしょう。
しかし、このような「戦争兵器として用いられる性暴力」は決してイスラム国などのイスラム過激派だけのものではありません。
さすがに、イスラム国やボコ・ハラムのように武装集団の指導者自ら性暴力を押し進め、組織全体が動くということは少ないでしょう。
しかし、集団としては禁止したとしても末端で好き放題ということは、それ以外の勢力によるものでも繰り返し起きてきたのが歴史の事実です。
近いところでは、旧ユーゴスラビアでの紛争でも多くの女性が性暴力にさらされたという報道がありました。
それ以外の地域でも、そういった行為はいくらでも見られます。
それでは、「戦争はしても、性暴力はするな」とでも国際的に決めますか。
そのような一文を国際的な条約としたところで、守られるはずもないでしょう。
唯一、効果的なのは「戦争はするな」ということでしょうが、これもほぼ不可能です。
結局、本書でナディアさんがその悲惨な経験を明らかにしたとしても、その発生を防ぐということはほぼ不可能というのが厳しい現実です。
ノーベル平和賞は、ノルウェーのノーベル委員会が人類平和に対して自らの信念に基づき選定しているとも言われます。
ナディアたちを平和賞受賞者としたのは、もちろん彼女たちのような犠牲者をこれ以上出したくないという思いをノーベル委員会自体が強く打ち出したということなのでしょうが、その前途は長く暗いのではないかと感じます。
THE LAST GIRLーイスラム国に囚われ、闘い続ける女性の物語―
- 作者: ナディア・ムラド,吉井智津
- 出版社/メーカー: 東洋館出版社
- 発売日: 2018/11/30
- メディア: 単行本
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