爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「モンゴルvs.西欧vs.イスラム 13世紀の世界大戦」伊藤敏樹著

ジンギス汗が統一したモンゴル民族は圧倒的な軍事力で広大な地域を征服しました。

西方では中東やロシアまでを支配しましたが、現ポーランドレグニツァ(ワールシュタット)の戦いで西欧軍を大破したもののそれ以上の西進はせず停滞しました。

 

というのが、モンゴル帝国の膨張の一般的な理解であると思いますが、その詳細は知りませんでした。

ジンギス汗による世界帝国の樹立はアレクサンダー大王とも並ぶ偉業と言われますが、アレクサンダーが一代で成したのに対し、モンゴルはジンギス汗亡き後に息子や孫にまで引き継がれて実行されたのが特徴的です。

ジンギス汗自身はサマルカンド付近まで進んだ後はモンゴルに戻ったのですが、別働隊がロシア方面、ペルシャ方面と別れて進みました。

 

そのようなモンゴルの脅威を受けたのは、ヨーロッパだけでなく中東からエジプトにかけてのイスラム教国も同様でした。

ちょうどその頃にはいまだに西欧のキリスト教徒は十字軍を聖地に向けて進めているところであり、モンゴルをにらみながら一方では第7次十字軍を起こしていました。

モンゴルの侵攻も一段落し、イル汗国、キプチャク汗国が一定の地域を支配する段階となると、イスラム教国、フランス王国をはじめとする西欧、ローマ教皇、イタリア諸都市、ビザンツなどが入り乱れて争うことになります。

 

キプチャク汗国はキリスト教国を征服したために、その王妃にキリスト教徒を迎え、イル汗国ではイスラム教徒の王妃を迎えると言った具合に、縁戚関係もできるとさらにその縁戚からの影響も受けるようになり、モンゴルと西欧の協力を求めるという勢力も出てくるようになります。

 

モンゴル側はあくまでも軍事力で西欧侵攻と言うことも唱えていますが、実際はそのような力も既に無く、均衡した勢力の争いとなってしまいます。

 

このような三つ巴の勢力争いの時代というものは、西欧にとってはその後のルネサンスを呼ぶようなものであったのかもしれません。

イスラムでもバグダットのカリフがモンゴルに滅ぼされてしまったことで、新興勢力の台頭を許したという意味があったようです。

また、キリスト教イスラム教以外に仏教という異教徒が居たということが大きく意識されたということもその後に影響を残しました。

 

モンゴル侵攻がなければ本当に中世の終焉がこなかったかどうかは分かりませんが、それを早めたのかもしれません。