爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「フェアトレード学」渡辺龍也著

フェアトレード」とは、これまでの通常の商取引で農産物などの途上国の生産物を安く買い叩くことで、生産者が窮乏の度合いを強めていったことに歯止めを掛けるために、フェアな条件での取引をすることを意味します。

 

ネオリベラリズムの主張する市場原理主義は、ともすれば「市場の暴力」となり、途上国ばかりでなく世界中で生産者が脅かされる事態となっていますが、この中でもフェアトレードを確立し守っていくことが必要とされています。

 

フェアトレードといっても様々な経緯があり種々の定義もあったのですが、共通定義としては次のようなものが挙げられます。

より公正な国際貿易の実現を目指す、対話・透明性・敬意の精神に根ざした貿易パートナーシップのことを言う。

フェアトレードは、とりわけ南の疎外された生産者や労働者の権利を保障し、彼らにより良い交易条件を提供することで、持続的な発展に寄与するものである。

 

フェアトレードが必要な理由には、これまでの状況を知る必要があります。

大きな理由の一つに「仲買人による買いたたき」があります。

豊かな生産者であれば出荷手段も選べますが、貧しい生産者はその手段もなく、買いに来た仲買人の言うままに売るしかありません。

 

また、バナナや紅茶などを生産する大農場(プランテーション)では労働を提供するだけの労働者も多数居ます。その中には子供も含まれます。

債務でしばられて奴隷同然の境遇になっている場合も多くあります。

 

このような状況を取り締まるべき政府も、多くは腐敗し賄賂次第で動くような状態です。

 

こういった事態に対処するとしても、フェアトレードと称するだけでは信頼性がありません。

そこで、国際的な団体がフェアトレードを認証し、マークを付けることを認める制度が必要となってきます。

WFTO(世界フェアトレード機構)、FLO(国際フェアトレード・レベル機構)といった団体が設立され、ラベル付与の基準を作っているようです。

 

とはいえ、まだまだフェアトレードによる商品流通はごくわずかなものでしかありません。

この後、さらに拡充していけるのかどうか、さらに商品種類も増やしていけるかどうか、難しい道かもしれません。

 

フェアトレード学-私たちが創る新経済秩序

フェアトレード学-私たちが創る新経済秩序

 

 

「浄土真宗とは何か 親鸞の教えとその系譜」小山聡子著

現在では仏教各宗派の中でも最も勢力の大きい浄土真宗です。

鎌倉時代親鸞を始祖とし、中興の祖として室町時代蓮如が活躍したということは知っていますが、その実像はどうだったのでしょうか。

 

平安時代の仏教は、天台宗真言宗がその密教の呪術で信仰を集めていました。

天台宗源信が「往生要集」を著したように、貴族社会を中心に臨終の時の作法「臨終行儀」が重要視されるようになります。

これは、いわば自力による極楽往生を目指したものでした。

このような浄土教とも言える仏教が優勢となっていた時代でした。

親鸞やその師の法然も、このような時代の雰囲気の中で生まれ育ち、さらに僧としての修行も経てきたために、そのような臨終行儀と無縁とは言えなかったようです。

 

法然法然源空)は武士の子として生まれましたが、父親が土地の抗争で討たれ仏門に入ります。

比叡山に入り、源光、ついで叡空に師事します。

しかし、叡空が伝統的な念仏の見解である「観想念仏」を極楽往生のための行として最上とする天台宗旧来の説を説いたのに対し、法然は「称名念仏」を主張します。

称名念仏は自力の念仏ではなく、阿弥陀仏に全てを任せるという他力の念仏です。

したがって、臨終の際の念仏を特別なものと考える臨終行儀は否定されます。

そうして、比叡山を降り専修念仏を広めることとなります。

 

しかし、本人が自分の病気のために祈祷をしたということは無かったようですが、信者たちから頼まれると断りきれなかったようで、関白九条兼実はかねてから法然に深く帰依していたのですが、兼実の娘が病となるとそのために法然が祈祷したとされます。

 

親鸞は藤原一門の日野有範の長男として生まれました。

聖人伝説で彩られているために脚色が多いのですが、実際は日野家藤原氏の中でも傍流で下級の貴族であったようです。

9歳の時に出家しました。この時には父親はまだ存命であったようですが、同時に兄弟も出家しており、何らかの事情があったものと考えられますがそれは不明です。

比叡山で天台僧として約20年間を過ごすこととなります。

そして、このままでは往生できないと見切りをつけ下山し法然の下に入ることとなります。

その時期に、出家のままですが妻を娶ることになります。これも女犯を禁じる不淫戒を破ることですが、その詳細は不明のようです。

なお、正妻として惠信尼がいますが、長男の善鸞は母親が違う可能性があり、親鸞は複数の妻を持っていたと考えられます。

 

法然の専修念仏は、比叡山の批判の的とされ、弟子の安楽坊のスキャンダルにより法然をはじめ親鸞流罪とされました。

親鸞は越後に流されるのですが、それを契機に許された後も東国に布教をするようになります。

 

親鸞法然を絶対的に信頼し、法然にしたがったために悪道に堕ちることになっても構わないと語っていたそうです。

しかし、法然親鸞の著作を並べてみると同一とは言えない面もあるようです。

法然は他力というものをさほど強調はしていないのですが、親鸞は自力を強く否定し、あくまでも他力に撤すべしとしています。

親鸞末法に生きるものは自力で悟りに至ることはできないということを自覚すべしとしており、愚であることを認識することを強調しています。

病気の際も決して経典読誦をしようとはしなかったのですが、一度かなりの高熱を出した時に無意識に経をとなえてしまいました。覚めてから改めて反省しました。

 

親鸞はその信仰にゆらぎはなかったとしても、家族にそれがどこまで伝わっていたかは怪しいところです。

妻の惠信尼、長男の善鸞、娘の覚信尼を見ても、自力の念仏を信じていた様子が見えます。

善鸞は東国の信者の動揺を鎮めるために向かったのですが、かえって彼らの動きに同調してしまい、呪術を多用することとなって義絶されました。

当時の時代の雰囲気の中では、完全に他力本願という親鸞の教えを貫くことは難しかったのでしょうし、善鸞自身が本当の意味で親鸞の信仰を理解できていなかったのかもしれません。

 

その後も親鸞の子や孫の人々もはっきりと他力本願を打ち出して布教をできるものは出ませんでした。

そして浄土真宗自体も退潮気味となったのですが、そこで出たのが蓮如でした。

彼は親鸞やその他の人々の残した著作を読み、その意味を理解しそれを広めることとなりました。

蓮如なしではこの浄土真宗の繁栄は無かったでしょうが、しかし室町時代にそれを為したために戦国大名との武力の争いにも巻き込まれることとなりました。

 

明治以降、近代的な宗教観から歴史を見直す傾向が強くなり、鎌倉時代の新仏教の力を過度に評価する動きも強くなりました。

西欧の宗教改革と並べて評価する動きが現れ、プロテスタント浄土真宗禅宗日蓮宗などとが並び称されるようになります。

しかし、その印象ほどではなく、法然親鸞天台宗の強い影響下にあったと言えます。

親鸞の教えは従来言われてきたほどに革新的ではなかったのですが、それでも魅力があったからこそ多くの信者を得ることができたのでしょう。

 

浄土真宗とは何か - 親鸞の教えとその系譜 (中公新書)

浄土真宗とは何か - 親鸞の教えとその系譜 (中公新書)

 

 

「ハンナ・アーレント 〈戦争の世紀〉を生きた政治哲学者」矢野久美子著

ハンナ・アーレント」という人の名前は以前に全体主義に関わる本を読んだときに目にし、いつかは読まなきゃという感覚は持っていました。

sohujojo.hatenablog.com

しかし、今回はその著作ではなく、ハンナ・アーレントの伝記を読むということになってしまいました。

 

ハンナ・アーレントは1906年にドイツのユダヤ人家庭に生まれ、大学では哲学を専攻し、ハイデガーヤスパースの下で学びました。

哲学に疎い私でも知っているような名前の人々ですが、学んだだけでは済まないということになります。

ナチスの進出により各地を転々とし、一時は収容所にも入れられたものの脱出し、アメリカに渡り、様々な問題について書き続け、「全体主義の起源」と「人間の条件」という大著を出版して評価を得ました。

しかし、ナチスの逃亡者アイヒマンが捕まりイスラエルで裁判にかけられた時に、それを取材しそれについて書いた「イェルサレムアイヒマン」という本を刊行したことにより、ユダヤ人社会から大変な非難を受けるということにもなります。

しかし、他に迎合することは書かないという姿勢を貫き、かつての友人たちとも疎遠になりながらも筆を曲げることはありませんでした。

 

ハンナは父を亡くし母の再婚といった家庭環境の変化はあったものの、勉学の道は閉ざされず、マールブルグ大学に入学し哲学を専攻するということになります。

当時のマールブルグ大学には「思考の国の王」と称されたマルティン・ハイデガーが居ました。

そしてハンナもハイデガーの指導を受けるのですが、それにとどまらず妻子あるハイデガーと恋愛関係に陥ってしまいます。

これはハイデガーの方が積極的であったようです。

しかし、やがてハイデガーの妻の耳にも入ってしまい、ハンナはマールブルグを離れることとなりました。

 

ハイデルベルグ大学に転学し、カール・ヤスパースという医学博士にして哲学科に参入したハイデガーの親友の指導を受けることになります。

 

その後、結婚もするのですが、ドイツはナチスが勢力を伸ばし、ユダヤ人たちには危険な情勢となっていきます。

捕らえられたこともあったものの、なんとかパリに逃れ、さらにアメリカに亡命することになります。

亡命者といってもなにか仕事をしなければならない中で、ハンナは「論争的エッセイスト」として文章を発表するようになります。

 

ナチスを逃れたユダヤ人ではあっても、彼らにとって「アウシュビッツ」に代表されるユダヤ人虐殺というものは、簡単には信じられないものでした。

そこまで合理的に人間を抹殺する、あたかも「死体製造工場」のような合理性に衝撃を受けます。

さらに、亡命先のアメリカが行った原子爆弾投下にも注目します。

 

それらの思いを込めたのが代表作の「全体主義の起源」でした。

しかし、そこで描いたドイツの状況は、アメリカでもマッカーシズムの蔓延であたかも再現されているかのようなものとなっていきます。

またアメリカの公民権運動で黒人が人種差別に立ち向かう姿は、ユダヤ人差別にさらされた自分の立場と交錯しますが、違いも大きかったようです。

 

そして1960年にブエノスアイレスで逮捕されイスラエルに送られたアイヒマンの裁判が始まることとなり、ハンナはどうしてもこれは実際に目にして書くべきだと考えイスラエルに向かいます。

しかし、彼女はイスラエルユダヤ人社会がアイヒマンを悪魔のように扱い、ナチスの悪行を暴くというだけの風潮には違和感を感じてしまいます。

アメリカに戻り刊行した「イェルサレムアイヒマン」は決してアイヒマンを擁護するというものでは無かったけれど、ユダヤ人側の問題も取り上げるといったものであったために、イスラエルユダヤ人から激しい非難を浴びることとなります。

 

古くからのユダヤ人の友人たちもハンナのこの文書に反発し離れてしまいました。

しかし、ごくわずかの人々はハンナの主張に賛同しました。

犠牲者をも巻き込んでしまう全体主義体制というものが問題であり、ナチスの犯罪だけを糾弾しただけではいけないということです。

 

 ハンナ・アーレントの著作はすべて日本語訳されているそうです。探して読んで見るべきか。

 

「登山入門」高須茂著

著者は明治41年生まれ、大正末期から登山を始め、昭和初期から活躍されていたという方で、60歳を越えた昭和45年(1970年)にこの本を出版されています。

昭和時代前半の頃から登山に関わる書籍は何冊も出版したそうですが、その最後にこの本を出したということで、登山全般にわたっての記述となっています。

 

私がこの本を買ったのも出版直後とすると高校生の頃でしょうか。山に登るのも良いかなと憧れてのことでした。

高校のクラブでも山岳部というのもありましたが、自身は別の運動部に入っていましたので、それを放っておいて山登りに行くわけにもいかず、山は本で読んで想像するだけというものでした。

 

昭和40年代ころまでは、若い人たちの間には登山ブームとも言える流行がありました。

大学生や社会人たちが週末や連休などに大挙して日本アルプスなどに出かけていたものだということです。

そのためということでも無いのでしょうが、本書著者の高須さんから見れば訓練も足りず、リーダーの力量も不足したパーティーがカッコだけつけて高山に出かけ遭難するという事故も目についたのでしょう。

 

というようなわけで、この本も中味はそういった登山初心者に登山に関するあらゆることを最初から平易に具体例を交えて解説しています。

 

例えば、「歩調」についても、

「早足はいけない。登山はけっしてマラソンではない。どんな平易な路でもゆっくりとあせらずに登ること。滑ったり躓いたりするのは登山家の恥辱である」

と、やや古めかしい言い方ですが強調しています。

 

「リーダーについて」でも、当時は学校の山岳部だけでなく、職場にも、町内にも山岳同好会があった時代ですので、そういった集団により様々なリーダーシップというものを解説しています。

町内の同好会などでは、リーダーといっても形だけの場合が多く、そのような集団の食い違いが事故や遭難につながることも多かったようです。

 

こういった時代に登山を愛好した人々が、今になって老人登山の大流行の立役者となっています。

初心を忘れず、無事を第一に登って欲しいものです。

 

登山入門 (1970年) (角川選書)

登山入門 (1970年) (角川選書)

 

 

「知らないと恥をかく世界の大問題2」池上彰著

2009年に出版した「知らないと恥をかく世界の大問題」が大ヒットをしたということで、続編として書かれたのが2011年出版の第2巻です。

2月に書き上げたということで、東日本大震災原発事故については取り上げていませんが、それは次のお楽しみということでしょうか。

 

この時期で何が世界の大問題であったか、ちょっと離れただけですでに時間の前後があやふやになっていますが、おそらくこの本で取り上げている問題がそれだったのでしょう。

アラブの各国で、独裁政権が倒されるということが連続して起きました。

今となってはその顛末も苦い思い出となっていますが、イスラム国などのテロ集団の暗躍する隙間を作ることにもなったということでしょう。

 

オバマ大統領は再選に向かっていたのですが、最初の頃の勢いはすっかり失われ、苦闘を続けているところでした。

 

日本では自公政権が自壊し民主党政権ができたのですが、あっという間にこちらも崩壊していきました。

池上さんはそれは官僚の協力を失ったこと、アメリカの信頼を失ったこと、としていますが、そればかりでもないでしょう。

 

ヨーロッパでもギリシャ危機が最高潮、ユーロが危機に陥っていました。

しかし、ユーロが危機で下落してドイツはユーロ安で輸出額が増えかえって潤ったとか。いろいろな影響があるものです。

 

量的緩和政策も安倍政権になる以前から民主党も取っていたようです。

日銀が株価投資信託不動産投資信託に5兆円規模で手を出したとか。

大規模な株式投資アベノミクスになってからではと思っていたので、ちょっと意外でしたが、GRIF(年金積立金運用独立行政法人)の実績を見たらすぐ理解できました。

2009年あたりから少しずつ増えてはいるのですが、やはり爆発的に増加したのは安倍政権になってからであり、現在では70兆円以上になっています。

 

領土問題が大きくなってきたのもこの時期からだそうです。

尖閣でも竹島でも、北方でも問題が起きています。

それを収めるには言うべきことはきちんと言って交渉することが必要ということです。

 

「知らないと恥をかく」かどうかは知りませんが、「知っている人が意外と少ない」問題が多いのではないかと思います。

 

 

「正しく理解する気候の科学」中島映至、田近英一著

地球温暖化ということをめぐっては、多くの論争がされていますが、公式にはIPCCの見解を日本政府も採用していることになっています。

 

この本は、東京大学のお二人が地球環境について古代の歴史からごく近い時代の変動まで、様々な面から解き明かしています。

二酸化炭素などの温室効果ガスの増加は確実に起きており、それに伴う温度上昇も起きているという立場ですが、それ以外の気候変動要因も否定はしていません。

しかし、そういった変動があるとしても、温室効果ガス増加による温度上昇は気候変動に影響があるということです。

 

人類の文明が栄えたこの1万年という時代は、確かに地球気候としては例外的に温和な気候でした。

穏やかなと言わなければならないのですが、温暖期と寒冷期が繰り返し訪れましたが、さほど大きな影響はなかったのです。

過去100万年で捉えればもっと大きな気候の変動が起きています。

さらに、数億年規模で捉えれば、さらに大きな気候変動、例えば全球凍結や大規模な温暖化も起きています。

 

しかし、人類の行動に原因があるこの気温数度の変動は、その影響が人類の社会という極めて温度に敏感なものに直接当たってくるために問題であるということです。

 

もちろん、まだ不確実な問題は数多くあり、どのようになるか分かりません。

しかし、するべき対策はしておくことだということでしょう。

 

正しく理解する気候の科学 ~論争の原点にたち帰る (知りたい! サイエンス)

正しく理解する気候の科学 ~論争の原点にたち帰る (知りたい! サイエンス)

 

 

「それでも中国は巨大な成長を続ける」副島隆彦著

中国は経済成長の勢いが止まるとか、アメリカとの貿易戦争で敗れるとか、様々なことが言われていますが、少し前の出版ですが、本書では副島さんは自信を持って中国は今後も経済成長を続け、世界の覇権を取るだろうと断言しています。

 

尖閣諸島などの問題で日本と中国の関係を悪化させているのも、アメリカの戦略の一つであり、それに乗ってしまうのは極めて危険であり愚かであるとしています。

 

この本が出る前年、アメリカの前政権の高官であった、リチャード・アーミテージ、ジョゼフ・ナイ、カート・キャンベルが中国を訪れ、尖閣問題を仲介してやろうと持ちかけたそうですが、中国は門前払いしたそうです。

しかし、日本では相変わらずアメリカの高官扱いで当時の野田首相、その後の安倍首相もご意見拝聴をしたとか。

紛争を調停と言いながら、実際は波風の無いところに立てているのがこの連中だそうで、それはヒラリークリントンの意図によるものだそうです。

 

2012年当時は、中国では多くの不動産が売れ残り、バブル崩壊かと言われていたのですが、その後はその兆しもなく回復しているようです。

この要因は、中国ではかつての一人っ子政策から脱却し、人口増加に転じたためとか。

それが成長につながるからということです。

 

これは私には極めて危険な兆候のように見えます。

人口が増えれば経済成長というのは事実でしょうが、それは将来に大きな禍根を残すでしょう。

 

最後に、尖閣問題についての原則論が書かれています。

尖閣諸島の帰属は、すべて第2次大戦末期のカイロ会談、ヤルタ・ポツダム宣言によって決められており、それ以外の根拠は無いということです。

そして、日清戦争の勝利で得た台湾、澎湖諸島は、このときに中国に戻されたのであるから、尖閣諸島もこれに含まれるということです。

なお、アメリカはその後も尖閣諸島の施政権を保有していましたが、沖縄の施政権返還時に尖閣諸島の施政権も日本に移しました。

しかし、施政権というのはあくまでも所有権ではないということです。

 

まだまだ中国の成長は続き、世界の覇権も中国に行くということですが、どうでしょうか。

 

それでも中国は巨大な成長を続ける

それでも中国は巨大な成長を続ける