爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「ハンナ・アーレント 〈戦争の世紀〉を生きた政治哲学者」矢野久美子著

ハンナ・アーレント」という人の名前は以前に全体主義に関わる本を読んだときに目にし、いつかは読まなきゃという感覚は持っていました。

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しかし、今回はその著作ではなく、ハンナ・アーレントの伝記を読むということになってしまいました。

 

ハンナ・アーレントは1906年にドイツのユダヤ人家庭に生まれ、大学では哲学を専攻し、ハイデガーヤスパースの下で学びました。

哲学に疎い私でも知っているような名前の人々ですが、学んだだけでは済まないということになります。

ナチスの進出により各地を転々とし、一時は収容所にも入れられたものの脱出し、アメリカに渡り、様々な問題について書き続け、「全体主義の起源」と「人間の条件」という大著を出版して評価を得ました。

しかし、ナチスの逃亡者アイヒマンが捕まりイスラエルで裁判にかけられた時に、それを取材しそれについて書いた「イェルサレムアイヒマン」という本を刊行したことにより、ユダヤ人社会から大変な非難を受けるということにもなります。

しかし、他に迎合することは書かないという姿勢を貫き、かつての友人たちとも疎遠になりながらも筆を曲げることはありませんでした。

 

ハンナは父を亡くし母の再婚といった家庭環境の変化はあったものの、勉学の道は閉ざされず、マールブルグ大学に入学し哲学を専攻するということになります。

当時のマールブルグ大学には「思考の国の王」と称されたマルティン・ハイデガーが居ました。

そしてハンナもハイデガーの指導を受けるのですが、それにとどまらず妻子あるハイデガーと恋愛関係に陥ってしまいます。

これはハイデガーの方が積極的であったようです。

しかし、やがてハイデガーの妻の耳にも入ってしまい、ハンナはマールブルグを離れることとなりました。

 

ハイデルベルグ大学に転学し、カール・ヤスパースという医学博士にして哲学科に参入したハイデガーの親友の指導を受けることになります。

 

その後、結婚もするのですが、ドイツはナチスが勢力を伸ばし、ユダヤ人たちには危険な情勢となっていきます。

捕らえられたこともあったものの、なんとかパリに逃れ、さらにアメリカに亡命することになります。

亡命者といってもなにか仕事をしなければならない中で、ハンナは「論争的エッセイスト」として文章を発表するようになります。

 

ナチスを逃れたユダヤ人ではあっても、彼らにとって「アウシュビッツ」に代表されるユダヤ人虐殺というものは、簡単には信じられないものでした。

そこまで合理的に人間を抹殺する、あたかも「死体製造工場」のような合理性に衝撃を受けます。

さらに、亡命先のアメリカが行った原子爆弾投下にも注目します。

 

それらの思いを込めたのが代表作の「全体主義の起源」でした。

しかし、そこで描いたドイツの状況は、アメリカでもマッカーシズムの蔓延であたかも再現されているかのようなものとなっていきます。

またアメリカの公民権運動で黒人が人種差別に立ち向かう姿は、ユダヤ人差別にさらされた自分の立場と交錯しますが、違いも大きかったようです。

 

そして1960年にブエノスアイレスで逮捕されイスラエルに送られたアイヒマンの裁判が始まることとなり、ハンナはどうしてもこれは実際に目にして書くべきだと考えイスラエルに向かいます。

しかし、彼女はイスラエルユダヤ人社会がアイヒマンを悪魔のように扱い、ナチスの悪行を暴くというだけの風潮には違和感を感じてしまいます。

アメリカに戻り刊行した「イェルサレムアイヒマン」は決してアイヒマンを擁護するというものでは無かったけれど、ユダヤ人側の問題も取り上げるといったものであったために、イスラエルユダヤ人から激しい非難を浴びることとなります。

 

古くからのユダヤ人の友人たちもハンナのこの文書に反発し離れてしまいました。

しかし、ごくわずかの人々はハンナの主張に賛同しました。

犠牲者をも巻き込んでしまう全体主義体制というものが問題であり、ナチスの犯罪だけを糾弾しただけではいけないということです。

 

 ハンナ・アーレントの著作はすべて日本語訳されているそうです。探して読んで見るべきか。