爽風上々のブログ

熊本の片田舎に住むリタイア読書人がその時々の心に触れたものを書き散らしています。読んだ本の感想がメインですが(読書記録)、エネルギー問題、食品問題など、また政治経済・環境問題など興味のあるものには触れていきます。

「内田樹の研究室」より「参院選にあたって」

内田さんが毎日新聞からの要請で書いた文章が掲載されたそうですが、それに加筆したものを研究室に掲載されました。

 

今度の参院選挙にあたり書いたものですが、現在の民主政治の危機について警鐘を鳴らすものとなっています。

その内容は、私の持っている民主制と現在の日本の政治に対する絶望感を、真正面から批判されるようなものです。

ちょっとだけショック。

 

blog.tatsuru.com

現在の日本の議会政治の質の低下は甚だしいものであり、その認識は私とも同じです。

これは、「国会の空洞化」であり、そのために「投票しても無駄だ」という意識が多くの人々に蔓延してしまっています。

これも同じ認識です。

しかし、その後が違った。

 

私の場合は、「あとはどうにでもなれ」に近いことになってしまいましたが、内田さんはそれを正面から批判しています。

 

そのような民主制度の衰退の表れが「第三者づらができること」だということです。

まさに、私のことです。

 

政権が狙っているのは、こんな国会は要らないじゃないのという感覚を国民に植え付けることです。

そうなれば投票率も下がっていき、今の政権に密接に関わる人々だけが投票するようになり、議席の専有も可能になります。

 

次の一文は私の考え方に抗議をされたかのように見えました。

 もし選挙を「自分の政治的意見を100%代表してくれる人」を国会に送り込むことだと思っているなら、その人は棄権を選ぶしかないだろう。そして、棄権することはニュートラルな解ではない。それは民主制の崩壊に同意の一票を投じることである。「国会なんか要らない」という人々の群れに加わることである。

 

まだまだ、あきらめたらいけないのか。

 

「美しい日本のくせ字」井原奈津子著

最近はパソコンなどで作ってプリントというのが多くなり、汚い字で困るということは少なくなったようですが、かつては上手に字が書けないというのは大きなコンプレックスでした。

 

しかし、この本の著者の井原さんは、そのような字「くせ字」が大好きという変わった方で、いろいろなタイプの「くせ字」を見つけるとコレクションしたくなるそうです。

その蒐集品の中から、よりすぐりの「くせ字」を本にしてしまいました。

 

「くせ字」もよく見れば味のあるものもあります。

しかし、思えば手書きの文字というものは多かれ少なかれ「くせ」があるのが当たり前、ですが、その「くせ」というものがどこから来るのか、どういったものか、並べてみればまた発見するものもありそうです。

 

紹介されている字には、結構有名な人のものもあります。(書いた本人の承諾は取ってあるのでしょうか)

松本人志、デーブ・スペクター、稲川淳二等々

まったく有名でない人のものも多いようです。

看護師の卵、スウェーデン人、ある新聞記者、レコード屋店員等々

 

丸文字や長体ヘタウマ文字など、一世風靡したものもあります。

 

会社のそばの喫茶店「花」のメニューに書かれていた文字というものも紹介されていますが、汚い字ではなくどちらかと言えばきれいな字ですが、やはり非常に味のある文字です。

聞いてみたら、店主の男性が書いていたとか。

女性が書いていると思っていた井原さんは驚いたそうです。

 

「くせ字」というよりは「汚い字」というのが、「脳からはみ出し系」とされているものです。

これは、字を書くよりも頭の回転が速すぎて手がついてこれないというタイプのものです。

医者や学者などに多いと書いてありました。

実は、これは昔から自分の字を考える時に思っていたとおりのことです。

書きたいことが山ほどあるのに、字を書く手が動かない。

結局、かなり省いて殴り書きといったものになり、他の人には絶対に読めないものでした。

やっぱりそうだったんだ。

 

手書き文字で日本国民に一番愛されていた文字「映画字幕の字」だそうです。

今では活字があり手書きのものは見られないそうですが。

画数はカットし、一箇所は必ず切れ目を入れるといった特徴があり、皆似たような文字を書いていたそうですが、やはり若干は人による特徴もあったそうです。

 

泣ける話もあります。

著者のおばあさんは生前にたくさんの手紙を娘(著者の母上)に送ってきたそうですが、ほとんどひらがなの特徴ある筆跡だったそうです。

おばあさんの死後、さすがデザイナーの井原さんはその筆跡を真似て字を書いたそうですが、母上は「あら?おばあちゃんの字じゃない」と驚き涙ぐんだそうです。

あまりきれいな字ではないからこそ、思い出があるのでしょう。

 

またまた、珍品の本を読んでしまった。

 

美しい日本のくせ字

美しい日本のくせ字

 

 

キャッシュレス化で浮かれすぎ、セブンペイで詐欺

コンビニ各社のスマホ決済が出揃ったかのようですが、早くも不正アクセスで他人の口座から取得という事件が発生しました。

www.asahi.comセブンイレブンスマホ決済、「7pay」で中国人が逮捕、組織的な犯罪のようです。

 

登録したとたんに見る見る間に引き落とされた被害者も居たとか。

 

キャッシュレス化を進めるというのに何の利点があるのかよく分かりませんが、犯罪に対しては日本が世界に誇る精密な紙幣よりはるかに脆弱であるのは明らかでした。

セブンイレブンも今回の被害者には全額補償をするということですが、返せば良いと言うものでもないでしょう。

 

以前のICカードの時は、別々のカードを持たなければならないということで、面倒だったのでしょうが、スマホなら各社のものでも1台に入るからということで受け入れやすいと思ったのでしょうか。

 

他社のものでも脆弱性はあるでしょうから、今後も同様の事件が頻発するのでしょう。

”賀茂川耕助のブログ”を読んで、No.1257葬った「2千万試算」報告書

賀茂川耕助のブログ」では、線香花火のようにパッと光ってすぐ消えた「2千万円」について書かれています。

kamogawakosuke.info金融庁の金融審議会が「95歳まで生きると夫婦で2千万円が必要」という試算をまとめ、発表したことで大騒ぎとなり、麻生大臣はこの報告書を受け取らないとし、金融庁は即座に謝罪しました。

 

この報告書案はまだ金融庁のホームページで見ることができるそうですが、それを見た賀茂川さんは、その内容を「若いうちから投資を始め、さらに高齢者にももっと投資させようとするもの」とまとめています。

その中の「年金が足りないから2千万必要」という部分のみが取り上げられ、騒ぎとなりました。

 

しかし、実は賀茂川さんの次の指摘のほうが重要です。

国民年金や厚生年金の積立金の運用を行っているGPIFは2018年10月~12月期の運用実績で14兆8千億円もの運用損を出したことがわかっている。約150兆円を運用しているから、その1割近くを失ったことになる。もちろん元本は残っているのでこれで即年金制度が破綻するわけではない。しかし国内、海外の株式で14兆円も損失を出したという事実は、年金をこのような高リスクを伴う資産で運用すること自体が問われるべきだと思う。

私も繰り返しこの問題を主張していますが、大騒ぎになった割にはこの問題を指摘する人は少なかったようです。

 

このように、国の投資ですら多額の損失を出しているにもかかわらず、個人にも投資の増額をすすめるようなことを金融庁はしているわけです。

年金資産が減るのは国の責任でなんとかしなければならないでしょうが、個人資産がもしも減ったり無くなったりしたらどうでしょう。

これも「自己責任」と言われるだけなのでしょう。

 

 

 

安倍亡国政権を批判はしているが、それでも選挙で野党に入れる気にはなれない。

参議院選挙が公示されました。

私はこのブログで一貫して安倍政権を批判しています。

しかし、選挙で今の野党に投票する気にはなれません。

 

社会、経済、環境など、根本から見直さなければ人類文明の崩壊の危機が迫っているのに、それらの見直しを提言するところはなく、安倍政権の政策の小手先の手直し程度のことしか言いません。

 

私の考える政策の方向は以下のようなものです。

 

1.エネルギー依存体制を改め、真の持続可能社会を作り上げる。

 原子力発電について取り上げられることすらなくなりました。

しかし、エネルギー問題が現在の社会の最大の懸念であることはもちろんです。

化石燃料という天与の賜物に頼り今のエネルギー依存文明が作り上げられました。

その持続は不可能です。

今から始めてももう遅いかも知れませんが、エネルギーに依存する社会の形を改めなければ、常にエネルギーの供給を追い求めなければならないという状況に追い込まれます。

ただし、「エネルギー依存文明を改める」と言ってもそれは簡単ではありません。

エネルギー使用量を半分にするだけでも、社会は大きく揺さぶられます。

まして、10分の1,100分の1にしていくというのは、大変な社会変革を目指すことになります。

しかし、それは100年先、200年先までこの国を存続させようとするなら必要なことです。

 

2.グローバル経済という魔物から国を守る

 アメリカの覇権、中国やロシアの覇権といったことが言われていますが、実はそのような国家の覇権というものはすでにほとんど失われようとしています。

その代りに世界を牛耳っているのは、グローバル企業というものです。

とはいえ、これまでのように自動車メーカーや電機メーカーなどが世界戦略を動かすといったものは、すでにその範疇からはずれようとしています。

ここで言う、新たに世界を手に入れる企業とは、金融資本とIT企業です。

彼らは投資という方法で世界経済を支配し、巨額の利益を手にしたり、通信やAIというデータ産業を支配して人々の生活の隅々まで統制しようとしています。

多くの国の政府はそのようなグローバル企業の資金力に支配されようとしています。

この魔物の力から逃れるには、前述の「100分の1のエネルギー使用」社会を樹立すれば、可能だと思いますが、それまでの間に押しつぶされることになりそうです。

金融資本に対するには金融取引への課税で資金を取り上げることが対策でしょうが、各国で連携できなければ不可能です。

ほとんどの国家が金の力に屈しているのではそれは不可能でしょう。

 

 3.アメリカとの同盟関係を見直し独自の中立路線を貫く

 ここも、1のエネルギー使用削減を貫けば、相手の方から同盟は願い下げということになるでしょうから、あえて方策を考える必要はないのですが、順番が違ってまだ国としての影響力が強い間に同盟破棄ということになると、アメリカからの干渉がひどいことになるでしょう。

 

他にも多くの点で長期的ビジョンが不可欠のものが多いのですが、現行の野党は「生活を守る」などといったレベルの話しかせず、根本の政策をどうするのか、まったく不明です。

結局は、今の自公路線をさほど変える気もなく、予算の使い方を少し移動させる程度のことしか頭にないのでしょう。

ただし、このような野党の体たらくであるからといって、自公政権が将来を見通した政策を考えているなどということは全くありません。

彼らの頭にあるのは、自分の議員としての身分を守ることだけ、あとは官僚に丸投げし良きに計らえというだけです。

そのためには、安倍など執行部に逆らうことなど夢にも思わず、国会での投票機械に徹しています。

 

こういった状況で、若者たちの政治離れを防ぎ投票には行かせるなどと言っても仕方のないことです。

「投票すべき候補者がいない」という若者の声を、あたかも彼らの政治に対する無知とだけ評するのは、あまりにも現状を誤解したものです。

私もやはり「投票すべき候補者はいない」と考えています。

だったら、自分で立候補するしかない?

私の政策に賛同し投票してくれる有権者は、おそらく0.01%以下でしょう。

今日見かけた交通違反「脇道からでる一旦停止の停止線は歩道の前だろうが」

長く続いた大雨もようやくあがり、晴れ間も出たので溜まった用事を片付けるために町中(田舎町ですが、一応市街中心部)に歩いてでかけました。

 

ちょっと広い、歩道付きの道を歩いていると、横道から一台の車が出てきました。

歩道前の停止線はほぼ無視。そのまま車道ギリギリまで進み、そこで車の途切れるのを待っています。

運転していたのは、介護施設の職員らしい中年の女。

なぜ分かるかというと、施設名を堂々と書いた車に乗っていたからです。

 

私は徒歩ですので、その車の後部を回り込んで進みましたが、反対側には自転車の女性が行く先を阻まれてじっと待っていました。

 

横道から車で出てくる時には、一時停止は当然ですが、その停止線は歩道の手前にあります。

そこで一旦停止しなければ歩行者や自転車(この歩道は自転車通行可です)にぶつかる危険もありますが、さすがに田舎町でほとんど歩行者も自転車も居ないのに慣れてしまっているのでしょう。

 

それにしても、社名入りの車で見苦しい運転をよくできるものだと感心してしまいます。

あんな介護施設にはちょっと身内を入れる気にも自分が入る気にもならなくなります。

 

私がかつて勤めていた会社にも社名入りの営業車がありました。

私自身は社名入りの車は運転したことがなかったのですが、会社の名前が入った車を運転するときは、交通違反をしないのは当然として、乱暴な運転、他人に優しくない運転はするなということは、厳しく指導されていました。

お客様のいる商売の場合は当然でしょうが、それを自覚していない人も多いようです。

 

「ロストブックス」スチュアート・ケリー著

訳者あとがきという、巻末の文章に、「久々にすごい本に出会った」とあるように、かなりの珍品と言える本です。

 

本書で初めに取り上げられているのは「ホメロス」、そこから現代の作家のものまで、「存在したのは分かっているが残っていない」本について語っているというものです。

 

古い時代の本では、歴史的な事件によって破壊されたり、長い時代の経過で失われたたりしたものが多かったのでしょう。

しかし、有名な作家の場合はそれについての記述が他の作品などに残っている場合もあるために、「かつては存在していた」ということが分かるものも数多くあります。

 

ホメロスが存在していたかとうかも議論されていますが、ほぼ実在は確かなものでしょう。

イリアス」と「オデュッセイア」という作品は残っています。

しかし、その他の史料でホメロスに言及されるときに語られる、「27000行におよぶホメロス作の詩」や「マルギテス」という作品は残っていません。

どこかにそれらの作品が埋もれていて、今後の発掘で出てくる可能性がないわけではありません。

 

新しい時代の作家などでは、書く書くと言い続けていて死ぬまで書けなかった(ただし、書かれたと言われる原稿が発見されることもある)とか、死に臨んで原稿や日記などはすべて焼けと遺言したとか、逆に遺族がこんなものは取って置けないと焼いてしまったという例などいろいろあるようです。

すでに出版されたものはもう取り返しもつきませんが、原稿のままで未出版のものなどはそういうこともあったのでしょう。

 

シェイクスピアにも知られている作品以外にも数多くの作品があった可能性が強いようです。

他の作家の作品に加筆した可能性もあるようで、シェイクスピアの文章は思いの外に広く存在しているかもしれません。

 

リチャード・バートン卿は千一夜物語を紹介したことで知られていますが、その性愛の描写は当時のイギリスでは大問題となりました。

社会の批判を受けていたのですが、その死後に夫人はバートンの遺稿を燃やしてしまったようです。

実は本当は夫人ではなくその他の知人が夫人の死後に燃やしたとも言われているとか。

真実はなかなか明らかにはならないようです。

 

失われた作品についてだけでなく、作者から他の作品にまで博識が示された、興味深いものでした。

 

ロストブックス

ロストブックス